2016年04月21日

こんなの見つけました





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2016年04月14日

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(9)

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第二節 結び

ヴィトゲンシュタインにおける幸福は、極めて知的な、主知主義的な幸福であったということが、まず言えるだろう。ヴィトゲンシュタインは、知によって生活を律したと言えるのではないだろうか。一つには簡素な生活というものが挙げられる。これは、生活が複雑であれば、それだけ不幸の種が多くなるわけだから、それに対する防御とも考えられる。すなわち、問題の種をつくらない、ということである。これはヴィトゲンシュタインの哲学の態度でもあり、それは「生が問題的であるのをやめるように生きる」ことによる幸福とつながるものであり、禅の思想ともつながっている。もっともヴィトゲンシュタインは、生が問題的ではないからといって、思考を停止したわけではなく、彼の知的良心と、思考という逃れ難い業のために、一生戦い続けたわけである。

彼の知的良心は、人間の作為によってゆがめられている知や行動に対する戦いであり、ときに他者に対する容赦ない攻撃として表われたのだが、結局彼の言いたかったことは、哲学というのは実は純粋に記述的であり、何かを何かに帰着させるようなことではない、ということであろう。したがって、ヴィトゲンシュタインの哲学は、主に思考の方法論に関わることであったようだ。マルコムの言明によれば、ヴィトゲンシュタインは、ときどき、物事がそのままで十分だからそれ以上手を加えるな、という意味で「すげえものには手を出すな」という表現を使ったということである。

もう一つ、逃れ難い業としての思考、という点について述べる。彼の一生涯の知的探求は、肯定的に見れば、それは一つの天職であり、天分に従って生きたわけだから、ある意味で幸福であると言えるが、反面、彼の自己嫌悪や道義的苦しみを考えると、必ずしもそうとは言えない面が十分ある。彼の知あるいは思考というものに対する自己嫌悪は罪の意識を伴い、その浄化作用として道義的良心というものが出てくる。具体的には教員生活や修道院の庭師としての生活である。これは、「論考」によって哲学的結論は出たので、あとは実践あるのみとの理解に基づくと思われる。それから彼は、知的な能力や高尚な趣味よりも、正直さ、親切さ、思いやりというものを、ことさら評価した。これも、知にわずらわされた自己嫌悪の裏返しであったのではなかろうか。この辺の事情を、英国の作家コリン・ウィルソンは次のように述べている。

ヴィトゲンシュタインは、われわれが考察してきた「アウトサイダー」が皆そうであったように、やはり究極的には失敗者とみなされねばならない。彼がどの程度まで失敗したかは、彼の教えと連関している二つの学派が論理実証主義と、言語分析とであるという事実のうちに窺われる。言語分析は過去の哲学者の言ったことを分析し、「しかしそれは言えない」とか「それは無意味だ」というふうに反論することに専念する。が、抽象哲学というものは元来、生半可なものなのだと認めてしまえば、言語分析は何もこんな骨折りをせずにすむ。死んでいる馬に鞭をくれても仕方がないのだ。だが、ヴィトゲンシュタイン自身、知能の誘惑にどうしても抵抗できなかったゆえに失敗した。知能は彼を完全に充足させたことはなく、彼は常に不安定であった。それでも彼はなおも哲学的思索、分析へと立ち返らねばならなかった。彼の精神にはそれが何より抵抗の少ない道であったから。ひとり立ちしている知能というものは、とるにたらない。ヴィトゲンシュタインは、このとるにたらぬ些事に全面降伏してしまったことはない。が、この些事を乗り越えていくだけの洞察を遂に持たなかった。本当に重大なことは語り得ない、と認めておきながら、その後も彼は生涯の終りまで語り続けたのである。(コリン・ウィルソン「宗教と反抗人」248頁)

このコリン・ウィルソンの指摘は細かい点で問題はあるかもしれないが、大筋ではヴィトゲンシュタインの苦悩をよく表現していると思われる。ヴィトゲンシュタインの幸福を見る上で、もう一つの視点となるものは、彼の個人主義的傾向である。これは、彼が世界と生は同じであるとし、死ねば世界は消え失せると考えたところから、世界=自分という見方があったからではないだろうか。彼は決してつき合いは広くなかったし、就いた職業も共同してやるというよりは独りでやる仕事ばかりであった。また彼の放浪漂泊ぶりは、わずらわしい世間からの脱却という意味が強いように思われる。そういった傾向は、社会性の欠如として、指摘できると思う。その辺が社会性豊かなラッセルなどの幸福論との相違点の一つであろう。

さて、もう一つの視点を取り上げてみたい。それは、人生の「生きること」以外の事柄の、無目的性の認識ということである。それは価値の溶解と言ってもいい。したがって、世の中の出来事はすべて、あるがままにあり、生起するがままに生起するだけであり、世界の中にはいかなる価値も存在しない、ということになる。この論からすると、幸福というものも、世界の中に価値を認めるといった形であるのではなく、すべてあるがままにあり生起するがままに生起するものを事実的にとらえ、ただそれを観想するといった形であるのではないだろうか。これは認識に生き、苦難をものともせず、楽しみも運命の恩寵としか見ないで生きる幸福であると言えよう。

以上、ヴィトゲンシュタインにおける幸福についてまとめてきたわけだが、その特徴を一言で言えば、知的で個人的で観想的な幸福である、と言えよう。

ところで、ヴィトゲンシュタイン自身は幸福であったのかどうか。私は、ヴィトゲンシュタインが言う意味での幸福を基準にするなら、彼は細かい点を除いて、おおよそ幸福であったように思える。これだけ自分の思い通りに生きた人も珍しいのではないだろうか。それだけ彼は自分の幸福を実現するために、自分に正直であったとも言えよう。もちろんそのために、日常的な意味での幸福、例えば家庭的な幸福とは余り縁が無かったけれども、それでも私は、彼の最期の言葉を信じたい。

「僕の人生はすばらしかった、とみんなに言ってください」


以上で、約35前の、当方の粗雑な内容の卒業論文の書き写しを終了します。

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卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(8)

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第三章 ヴィトゲンシュタインにおける幸福

今までヴィトゲンシュタインにおける幸福について、第一章で概念的抽象的に、そして第二章で伝記的具体的に述べてきたわけであるが、第三章では結びとして、第一章と第二章をふまえながら、総合的にヴィトゲンシュタインにおける幸福について論ずる。

第一節 ショーペンハウエルの幸福論とヴィトゲンシュタイン

G・H・フォン・ライトによる伝記によると、ヴィトゲンシュタインは、若い頃、ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」を読み、それが彼に与えた影響は大きかったと言われる。

私の記憶が正しければ、ヴィトゲンシュタインは、若い頃、ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」を読み、自分の最初の哲学は、ショーペンハウエル的な認識論的観念論であった、と語ったことがある。

そこで、ショーペンハウエルの幸福論というものを見てみたい。ショーペンハウエルは一般的に厭世主義者とされている。すなわち、この世に生を享けたこと自体、不幸と考えられている。「生きんとする意志」の煩悩につき動かされて生きることに甘んじなければならないからである。この世は「あり得る世界の中で最良の世界」(ライプニッツ)どころではなく、むしろ、どうしようもなく厭わしく、我慢ならない世界である、というのが彼の世界観である。それにもかかわらず、彼は自殺という手段によって、この世を去ることを否定している。自殺は、生の根底にあって生を前へ前へとただがむしゃらに推し進めることしか知らない「生きんとする意志」のエネルギーをうまく支配することができず、それに負けたものが選ぶ卑怯な行動だと言うのである。だから自殺者は、この「生きんとする意志」を支配し得た者たちだけが到達できる浄福の世界に入ることができない。以上の事柄をヴィトゲンシュタインと比較してみると、彼も厭世的傾向が強い人間であったが、自殺を否定している。第一章第二節で述べたように、意思の自由を認めず、世界の出来事に対する自己の無力を認めているので、その意味で厭世的であるが、一方、出来事への影響を専ら断念することによって自分を世界から独立させ、やはりある意味で世界を支配することができると述べているから、その意味で生きることを尊重している、と考えられる。自殺についても、「草稿」において次のように否定的な見方をしている。

自殺が許される場合は、すべてが許される。何かが許されない場合には、自殺は許されない。このことは、倫理の本質に光を投じている。というのも、自殺はいわば基本的な罪だからである。−中略−それとも自殺もまた、それ自身では善でも悪でもない、とでも言うのか。

このように、生きることに対する考え方は、ショーペンハウエルとヴィトゲンシュタインで非常に似ている。ショーペンハウエルは、たとえこの世がどんなに厭わしいものであっても、我々はこの世に生を享けた以上、覚悟を決めて、とにかく人生をできるだけ幸福に生きるために努力すべきだとする。そこで彼の幸福論は、「生きる知恵のための箴言」という形式をとることになる。ショーペンハウエルは、幸福を決定する三つの要素を次のように挙げる。

(1)人が在るもの。つまり最も最も広い意味での人格。これには、その人の健康、力量、美貌、気質、道徳的品性、知能及び教養が含まれている。
(2)人が持っているもの。つまり普通の意味での財産や所有物。
(3)人が表象するもの。これは、人が他人の表象のうちにおいて在るもの、つまり他人からどう思われているかということであって、名誉、位階及び名声などがこれに当たる。


そして、次のように考えられる。

この三つの要素のうちで最も重要な役割を演ずるのは、第1の要素であり、これは天分とも言うべきもので自然そのものが人間同士の間に立てた区別である。したがって真の人格的優越、頭脳の明晰と言ったものは天賦のものであって、これは後天的な位階、出生よりははるかに本質的なものであり、他の二つが相対的なものにすぎないのとは対照的に、絶対的なものである。つまり、人間の幸福は、外界からの干渉を受けると一般に考えられているよりははるかに少ないのである。だから、与えられた個性、天分を、それにふさわしく発達完成する努力をし、それに適合した地位、職業、生活方法を選ぶことが大切である。

この先天的な属性(天分)を重んずる運命論的な見方は、ヴィトゲンシュタインにおいても見出せる。第一章第三節で、ヴィトゲンシュタインにおいては、幸福な人とは、現に存在することの目的を満たしている人であり、生のほかにはもはや目的を必要としない人、即ち満足している人のことである、と述べたが、そのことはヴィトゲンシュタインの場合、全く何もしないで生きるということではなく、自己の天分に従って生きるということであったようだ。これについては、マルコムによる伝記における次のような話を挙げる。

ムーアの健康は1946〜47年には、たいへん良かったが、ムーアはそれ以前に脳溢血にかかっていたので、医者から興奮しすぎたり疲労しすぎたりしないようにとの注意を受けていた。そのため、ムーア夫人は、医者の指示を守って哲学の議論をムーアに一時間半以上は誰ともやらせないことにしていた。ヴィトゲンシュタインは、このムーア夫人の規則を、猛烈に嫌っていた。ムーアは、奥さんのさしがねを受けるべきではない、と彼は思いこんでいた。好きなだけ議論を続けるべきだ。もしそれで興奮しすぎたり疲れたりして、脳溢血を起こして死ぬとしても言ってみれば、それは学者冥利に尽きることじゃないか、騎士が馬上で死ぬのと同じだ。ムーアが真理への情熱を持っているのに、議論がまだ終わってもいないのに途中で打切らせられるなどというのは、学者の風上にもおけないことだとヴィトゲンシュタインは思っていた。このムーア家の規則に対して見せたヴィトゲンシュタインの反発は、彼自身の人生観をあざやかに物語っている、と私は思う。人間は、自分の才能に課せられた仕事に全精力全生涯を傾けるべきである。長生きをしたいというだけのことで、この努力の出し惜しみをしてはならない。このプラトニックな処世観は、二年後にヴィトゲンシュタイン自身が、その才能のおとろえをおぼえ、このまま生き続けるべきかどうかを自分に問いかけるときに、彼の思想と行動の中に、再びつよくよみがえったのである。

ヴィトゲンシュタインは、自分がこれからの余生をどう送るべきか、は深刻な問題だと、何度も私に語った。「人間この世に、ただ一つのものを、つまりある才能を持って生まれてきて、その才能か消え衰え始めたとき、どうすべきだろうか」という質問もした。彼の言い方が、真面目そのもので、かつ陰うつな調子なので、彼の兄さんが三人も自殺しているのを知っている私は、彼が自殺を試みるのではないかと、心配した。


さて、幸福を決定する要素の二番目に挙げられた(2)人が持っているもの、については、ショーペンハウエルは次のように考えた。

幸福であるために人がどうしても所有しなければならないものについて、きちんとした尺度、基準を定めることは、極めて難しいことである。それは人々の満足は絶対量によるのではなく、ただ相対的に、つまりその欲求と所有との関係に左右されるからである。所有それだけ切り離してみれば、分母のない分子のようなものであり、全く意味を為さないのである。どんなにたくさんのいろいろなものを持っていても、それに満足することができず、さらにもっと別のものまで所有したいと思う人は、その求めるものが手に入らないと、そのために自分は不幸だと感ずるようになる。あまり欲がなく、物事に執着しない人ならば、不足をなげき、ぐちをこぼすこともなく、無くても結構満足して幸せである。

自らの努力によって獲得した金であれ、親から相続した財産であれ、金持ちは得てして退屈の虫に悩まされるようになるが、それをまぎらわすために享楽と浪費にあけくれることになる。しかし本来そうであってはならないのであって、人類全体に役立ち、人類の名誉となるべきことのために努力し、人類に対し負債を何倍にもして返済するようにすることが、その人の務めでなければならない。


ショーペンハウエルのこのような考えは、ヴィトゲンシュタインにも大いに当てはまる。彼の部屋は、余計なものが一切ない簡素なものであったし、おおよそ物欲からは遠い所にいる人であった。「生のほかには目的を持たない」人間、すなわち自己の天分に従って生きる人間にとっては、最低限の生活が保障されていればそれでよかったのである。例えば1912年、彼は父の死によって莫大な財産を持つことになったが、それを全部手放し、彼自身は無一物となったのである。そして簡素な生活を送るようになるが、この生活態度は、その後、彼の一生を貫くものとなったのである。これは彼が、戦争中と捕虜生活中に常に携えて読んでいたトルストイの書物(四福音書についてのもの)から受けた影響に基づくものと考えられている。

次に、幸福を決定する要素の三番目に挙げられた(3)人が表象するもの、について述べる。「人が表象するもの」とは要するに世評や世間の目のことである。本来これはわれわれの幸福にとって、それほど本質的なものではないにもかかわらず、我々はどうも重視しすぎるきらいがある。ショーペンハウエルはこで名誉、名声、虚栄心などを問題にしているが、これらはいずれも他人が自分をどう見ているかということであって、自分の幸福を他人の手にゆだねることであるから真の幸福は得られない。

ヴィトゲンシュタインはと言えば、気どりや虚栄心というものを憎んでいたが、世評と名誉に全く無頓着だったとは思えない。すなわち、自分にないものを人に認めさせたいとは思わなかったが、自分が正当に評価されることを望んでいたのである。自説の誤解や誇張、剽窃に対する恐れや怒りは、そのためであろう。マルコムによる一文を引用しよう。

世評を気にする考えなどを、ヴィトゲンシュタインが、生来持ち合わせてなかったと言えばうそになろうし、事実そのために激情を燃やしたことは、ここで紹介したエピソードでも明らかである。けれどもその反面に、次のような面のあったことも忘れてはならない。ヴィトゲンシュタインは、自ら進んで無名の人として世に生きようとしたし、ひとが彼を名士にしようとする試みを、ことごとく斥けた。さもなければ、彼は文句なしに輝かしい名声をかちえていたはずである。

以上、ヴィトゲンシュタインとショーペンハウエルを比較しながら、ヴィトゲンシュタインにおける幸福の概念を、より明らかにするよう努めてきたわけだが、最後に、ヴィトゲンシュタインにおける幸福は、結局のところいかなるものであったのか、凝縮した形で述べてみたい。

次回の予告

第二節 結び

お楽しみに!

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卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(7)

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第三節 倫理的態度 つづき

ヴィトゲンシュタインと禅については、これくらいにして、次に、ヴィトゲンシュタインが講演した「倫理学講話」をとり上げる。これは、「論考」に述べられている倫理観と極めて似た考えが見られる。そして、倫理学に対するヴィトゲンシュタインのまとまった論文としては、現在刊行されている限りでの唯一のものと考えられている。このように、ヴィトゲンシュタイン自身が、倫理について語ったものであるから、彼の倫理的態度を考察する上で絶好の資料と言うべきである。この論文の大半は、相対的価値と絶対的価値に関して、具体的な事例を枚挙しながら論じているわけだが、結論として彼が言いたいことは、絶対的価値は記述不可能であり、もし倫理的宗教的なことがらが表現されたとしても、それは、われわれの言語についてのある種の誤用であり、その誤用とは、その表現が何らかの類比であることによるものである、ということである。例えば、われわれが神について語り、またわれわれが、神に跪き祈るとき、われわれの言動はすべて、偉大な力を備えた"人間"として神を描き出す。それは諷喩として描かれているのである。したがって、これらは実は、記述できる事実を前提としておらず、いわば無意味な表現であって、そのような無意味な表現は、その人が未だ、正しい表現を発見していないから無意味なのではなく、それらの無意味さこそが、ほかならぬそれらの本質である、ということになる。そして彼は「倫理学講話」の最後で、次のように結んでいる。

それらの表現(無意味な表現)を使って私がしたいことはただ、世界を越えていくこと、そしてとりもなおさず有意義な言語を越えていくことにほからならないのであります。私の全傾向、そして私の信ずるところでは、およそ倫理とか宗教について書きあるいは語ろうとしたすべての人の傾向は、言語の限界にさからって進むということでありました。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るということは、全く、そして絶対に望みのないことであります。倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値あるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではあり得ません。それが語ることは、いかなる意味においても、われわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした文書であり、私は個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるを得ません。また生涯にわたって、私はそれをあざけるようなことはしないでしょう。

この最後に述べられた彼の態度は、非常に根本的な人生態度と言わなければなるまい。すなわち言語の限界というものがあり、記述不可能な領域が存在するという認識、そしてその領域が非常に重要なものであるという彼の主張がうかがわれる。

このことを「論考」との関連において見ていくことにする。「論考」という書物は、S・トールミン、A・ジャニック共著の「ヴィトゲンシュタインのウィーン」では、論理的であると同時に、倫理的な書物であると見なされている。ヴィトゲンシュタインが、「論考」で何を成し遂げたと考えていたかを示すものとして、次のような彼の手紙を引用している。

この本の要点は、倫理的なものです。私はかって今の序文に、実際には入れなかった一文を入れようかと思ったことがありますが、それをここであなたのために書き出してみます。というのも、それは恐らくあなたにとって、本書を理解するための鍵となるでしょうから。そのとき私が書くつもりでいたことは、これです。私の仕事は、二つの部分、すなわちここで述べていることプラス書いてないこと、から成る。そして重要なことは、この二番目の部分です。私の本は、倫理的なものの領域に対する限界線を、いわば内側から引いています。そしてこれが、限界線を引く唯一の厳密な方法であると確信しています。要するに、他の多くの人々が単にむだ話をしている場所では、わたくしの本は、それについては沈黙し、あらゆるものを何とかしっかりと本文の中に入れることができたのです。

同様のことをパウル・エンゲルマンが、ヴィトゲンシュタインについて述べている。

われわれの語ることができることが人生において問題となることのすべてである、と考えるのが実証主義であり、そしてこれが実証主義の本質である。これに対し、ヴィトゲンシュタインの熱烈な信念によれば、人間生活において本当に大事なものは、彼の見解ではまさしく、それについてはわれわれが沈黙しなければならないものである。・・・

すなわち、ヴィトゲンシュタインは、倫理的なものを理性的な議論の領域から区切ろうとしているのである。ヴィトゲンシュタインは、「論考」において、「倫理の命題は、存在しえない。命題は、より高貴なものを一つとして表現することができない。」(6・42)「倫理を言葉になし得ぬことは明らかである。倫理は先験的だ。」(6・421)と言っている。そしてこの「示す」ことはできるが「語る」ことはできないという点において、倫理は論理と同様、事実に依存していない。ヴィトゲンシュタインは、「論理的命題は、世界の足場を提示する。それは、いかなるものも扱わない。」と言う。それの意味するところは、論理的命題は、世界の外郭の形式を記述し、現実の世界は、この論理的な外郭の内部で成立するから、論理的命題は何ら特定の事象ではないということである。それは、経験的なもの、事実的なものを越えており、それは倫理についても同様なのである。したがって、この二つが、ヴィトゲンシュタインの言う神秘的なものになる。これはどちらも、命題が有意味ではあり得ない領域である。

倫理学に「知的な基礎」を与えようとする試みは、すべて廃棄しなければならないというヴィトゲンシュタインのこの確信は、前期、後期を通じて変わらなかった。1930年12月、シュリックの説を批判して、ワイスマンに次のように語ったということである。

シュリックは、神学的な倫理学には善の本質について解釈が二つあるという。表面的な解釈によれば、善がよいものであるのは、神がそれを欲するからである。より深い解釈によれば、神が善を欲するのは、それがよいものであるからであるという。私の考えでは、最初の解釈のほうがより深い解釈である。つまり、神が命じ給うものがよいものである。というのは、この解釈は"なぜ"それが善であるかという、何らかの種類の説明を求めようとする道筋をふさいでしまうからである。これに対し、二番目の解釈は皮相で合理主義的な解釈である。それは善きものについて、さらにそれ以上の何らかの基礎づけを与えることができるかのように考えているのである。

その少し後で、彼はショーペンハウエルの言葉を引用している。「道徳を説くことは難しく、それに知的な正当性を与えることは不可能である。」

以上、ヴィトゲンシュタインの倫理というものに対する考え方を様々な角度から見てきたわけだが、この考え方に関連して、芸術に対する彼の考え方について少し触れたい。ヴィトゲンシュタインによると、倫理と美的感覚とは一体であり(6・421)芸術だけが人生の意味を表現できる、ということである。そして、芸術家だけが人生において最も重要なものを教えることができる、と考える。「草稿」で次のように述べている。「芸術的な驚きは、世界が存在することである。存在するものが存在することである。」と。

これで、ヴィトゲンシュタインの倫理的態度を終わり、同時に第二章を終わるが、ここに挙げた様々な逸話や彼の考え方は、彼における幸福というものと密接につながっているであろう。彼における幸福というものが、どのようなものであるかは、以上述べてきた彼の人生態度から大よそ理解されようが、次章において明確にまとめてみたい。

次回の予告

第三章 ヴィトゲンシュタインにおける幸福

お楽しみに!

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2016年03月17日

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(6)

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第三節 倫理的態度

第一節知的態度、第二節生活態度と見てきたわけだが、この第三節倫理的態度を含めれば、それら三つの相互に関連し合う態度を頂点とする三角形ができ上がり、それを全体として見れば、いわば”人生態度”とでも言うべきヴィトゲンシュタインという人間の全体像が浮かび上がるだろうと思う。そしてそれらは、ヴィトゲンシュタインにおける幸福というものを考えるための重要不可欠の情報となるであろう。

倫理的態度を考えるに当たって、これを二つに分けてみたい。一つは、対人関係としての人倫的態度、もう一つは、世界との対峙関係としてのより高次の意味での倫理的態度である。ではまず最初に、対人関係としての人倫的態度と考えられるものを、具体的な生活の中から拾ってみよう。

ヴィトゲンシュタインが、トリニティーカレッジに住んでいたとき、彼の部屋の階下の学生が、ピアノをよく練習していた。この音が、ヴィトゲンシュタインの部屋に漏れてくるので、彼は非常に怒った。なぜなら、ピアノの音が聞こえてくると、彼は何も考えられなくなるからであり、特に馴染みのある曲の場合は余計そうであった。この解決の方法が実にヴィトゲンシュタインらしい仕方であった。大きな中古の扇風機を買ってきて、ピアノの音を消すくらいの音を絶えず立てさせるという方法である。この騒音は、ヴィトゲンシュタインは、一向に気にならなかったということである。この場合、ピアノの音を扇風機の音で消すという方法は、ヴィトゲンシュタインの知的なアイデアと考えられるわけだが、さらにここには、ヴィトゲンシュタインの倫理的態度が感じられる。それは、階下の学生に文句一つ言わず、彼のピアノの練習を妨げることなく、全く自分の側で解決したことである。これは、彼の個人主義的な倫理的態度と言えよう。

次の話は、ヴィトゲンシュタインがウェールズのある牧師の家に下宿したときのことである。初めてこの家にヴィトゲンシュタインが行ったとき、そこの女主人が、ティーが好きかどうかなど、あれやこれやについて、その好き嫌いをヴィトゲンシュタインに尋ねた。そのとき、向こうの部屋から彼女の夫が、「何もきかなくてもいい。ただ差し上げるんだ。」と叫んだ。ヴィトゲンシュタインは、この声に強く感銘を受けたということである。ヴィトゲンシュタインは、非常に寛大だったり、親切だったり、正直だったりする人を高く評価していた。すなわち人間味のある態度は、彼にとっては、知的な能力や高尚な趣味などよりは、ずっと大切な人間の属性であったのである。彼はこのように言っていた。「僕は愛情を人に与えることはできないけれど、ぼくには非常に必要なんだ。」この言葉の意味するものは何であろうか。何故、ヴィトゲンシュタインは、愛情を人に与えることができないと思ったのだろうか。それはおそらく、彼のあまりに徹底した知的態度というものが、彼の純粋な感情を疎外している、と彼が感じたからではなかろうか。それは、彼の罪の意識につながるものがあるのではなかろうか。

そこで、人倫的な態度としての事例を終り、より高次の意味での倫理的態度、すなわち彼が世界と対峙する場面における倫理的態度というものを見ていきたい。まず、彼の罪の意識について述べる。

ヴィトゲンシュタインは、神という考え方は、世界の創造者としては理解できないが、人が自分自身の罪を自覚するときに、その人の心に存する、という場合に限っては、わかるような気がすると言っていた。だから、神の存在証明といったような創造主としての宇宙論的な神は信じようとしなかったが、審判と贖罪を行う神というのは理解できたらしい。彼は、キェルケゴールを高く評価していたが、あるとき、マルコムがキェルケゴールの「キリストが私を救ったことを、私自身が知っているのに、キリストが存在しなかったとどうして考えられようか」といった意味の言葉を引用したとき、ヴィトゲンシュタインは「それ見たまえ、それは何かを証明するという次元の問題じゃないんだ」と大声で言ったそうである。

ヴィトゲンシュタインは、何か特定の宗教的信仰を持っていたわけではないが、宗教を理解する人であったと言うことはできよう。共感と関心を持って、宗教を「人間生活の一面」として見ていたことは事実である。彼は、宗教に入っている人々の態度や考えを尊重していたようだ。彼自身1920年前後に、修道院に入ることを考えていたことがあった。これについては、ラッセルがある人に宛てた手紙を引用したい。

「私は彼の本(「論考」)に神秘主義の趣を感じていました。しかし驚いたことに、彼は完全な神秘家になっていたのでした。彼はキェルケゴールとかアンゲルス・シレジウスとかいった人々の作品を読み、そして真剣に修道院に入ることを考えていました。これはすべて、ウィリアム・ジェイムスの「宗教的経験の種々相」から来ています。彼の神秘家への傾斜は、大戦前たった一人でノルウェーで過ごした冬の間に増大しました。そしてそのときの彼は、もう少しで狂うところでした。−中略− 彼は神秘的な思考様式と感じ方に深い洞察を持っていました。しかし私の思うに(彼は同意しないでしょうが)彼が神秘主義のどこが最も好きかといえば、それは彼の思考を停止させる神秘主義の力です。私は、彼が修道院に実際に入るとは、あまり考えません。修道院に入るということは、アイディアであって、意志ではないからです。」(「ラッセル、ケインズ、ムーアへの手紙」(「エピステーメー」1976年10月号所収)228頁)

以上、ヴィトゲンシュタインの宗教に対する態度、神秘主義について見てきたわけだが、次にそれに関連して、ヴィトゲンシュタインと禅について、簡単に述べてみたい。

ヴィトゲンシュタイン自身が、禅について言及したことは一度としてないし、彼が禅の資料によって影響をこうむったということもないのであるが、ヴィトゲンシュタインと禅との関係は、よく指摘されるところである。

「ヴィトゲンシュタインは、徹底した合理主義者である。しかし彼は、人間の論理的思考の限界を見い出して、それを超えたところに神秘主義を立てようとするが、その議論の進め方が禅のそれと一致することは甚だ興味深い」(中村元「比較思想論」310頁)

「西洋最大の哲学者のひとりルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは禅の態度に非常に近づいた人だ。ほとんどその扉を彼は叩いた。彼は言う「神秘的なのは、世界の中でものごとがどうなっているかではない。それが存在するということだ。」世界があるということ、それこそが本当の神秘なのだ。−中略− そして答えが言葉にならないとき問いもまた言葉にならない。−中略− これは、すさまじい洞察だ。問題は存在しない。」(バクワン・シュリ・ラジニーシ「究極の旅」351頁)

このように、ヴィトゲンシュタインと禅との関係は、多く指摘されているが、次に両者の類似性を概念的に幾つか挙げてみたい。

まず、ヴィトゲンシュタインも禅も、いわゆる哲学を排斥する。もう少し厳密に言えば、どちらも哲学的な学説の構成を回避している。すなわち、哲学を活動としてとらえているのである。前期ヴィトゲンシュタインでは、次にように言われる。「哲学的なことがらについて書かれてきた命題や問いの多くは、誤りではない。ナンセンスなのだ。したがって、われわれは、この種の問いに大よそ答えるすべを知らず、ただ、そのナンセンスであることを立証できるにすぎぬ。哲学者の掲げる問いや命題の多くは、われわれが自分たちの言語の論理を理解していないことに基づく」。そしてこれは、禅における「哲学の抽象論についてのわれわれの理解のすべてを合わせても、たかだか広大な宇宙の中の一本の毛のようなものだ」(徳山和尚)という考えと共通している。また後期ヴィトゲンシュタインの文章形式は、手短かな空想上の対話、答えのない問い、困惑させ意表をつく答えを伴った問いなどといった、独特のものである。そして非常に具体的である。これらは、公案問答の文献を彷彿とさせるものがある。(例えば「心が鎮まりません。師よ、どうぞお鎮め下さい」「その心というものを、ここへ持ってきなさい。そうすれば、お前のために鎮めてみせよう」という問答など)この具体性を重視したのは、ヴィトゲンシュタインが不当な一般化と考えていたところのものを避ける手段としてである。われわれが、しばしば哲学において、一般化しようとする欲求とか、その結果として重要な諸区別を看過しようとする傾向とかによって、迷妄に陥ることを、彼は感じとった。彼は次のように言っている。

「一般的なるものへの我々の渇望には今一つ大きな源がある。我々が、科学の方法に呪縛されていること。自然現象の説明を、できる限り少数の基礎的な自然法則に帰着させるという方法、また数学での、異なる主題群を一つの一般化で統一する方法のことである。哲学者の目の前にはいつも、科学の方法がぶらさがっていて、問題を科学と同じやり方で問い且つ答えようとする誘惑に抗し難いのである。この傾向こそ、形而上学の真の源であり、哲学者を全き闇へと導くのである。ここで私は言いたい。それが何であれ、何かを何かに帰着させる、また、それを説明するというのは断じて我々の仕事ではない、と。哲学は事実として、もともと純粋に記述的であるのだ。」(「青色本」(「ヴィトゲンシュタイン全集6」所収)47頁)

「我々が例えば、「望む」「考える」「理解する」「意味する」という言葉を研究する場合には、望む、考える等々のさまざまな具体的ケースを描写すれば、それで満足するだろう。誰かが、「これは”望む”と人が呼ぶことの全部でないことは確かだ」と言うなら、「もちろん全部じゃない、だが君が望むならもっと複雑なケースをいくらでも作っていくことができる」と答えるべきである。何と言おうととにかく、”望み”のすべてのケースを特性づける、一つの決まった特徴群は存在しないのである。(少なくともこの語が通常の使われ方をしている限りでは。)だがそれにもかかわらず、君が、望む、の定義を与えたいなら、すなわちきっぱりした境界線を引きたいなら、君の好きなように引いて構わない。だが、その境界が実際の用法に一致することは決してないだろう。実際の用法にはきっぱりした境界線がないのだから。一般名辞の意味を明確にするためには、そのすべての適用を通じて共通する要素を見つけねばならぬという考えが、哲学にかせをはめてきたのである。その考えは、何の効果も上げなかっただけでなく、その考えのために哲学者は、一般名辞の具体的な適用例を、問題に関わりがないとして見捨ててしまった。ただその適用事例だけが、一般名辞の用法を理解する上で哲学者を助けたものであるのに。」(「青色本」49頁)

このように、哲学的思弁に沈溺しようとする衝動に抵抗しようとすることは、こうした沈溺を悟りへの障害とみる禅の考え方と類似している。今まで述べてきたことをまとめてみれば、両者に共通するのは、哲学、心、対立、定義、命名などについての既成概念を斥け、自然、具体、特殊、行為、描写、日常言語などを重んじ、啓示的陳述を尊ぶという点であろう。

さらに共通点を求めれば、どちらも治療的効果を持つと考えられていることである。ヴィトゲンシュタインは、言語批判により、伝統的な哲学の種々雑多な諸問題が氷解すると主張しているが、そのようなある種の困難を解決し、精神的自由を獲得することを意図している点、禅と類似している。


ちょっと長くなったので、途中だが、この辺りでいったん切ることにする。


次回の予告

第三節 倫理的態度 の続き

お楽しみに!

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2016年02月09日

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(5)

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第二節 生活態度

ヴィトゲンシュタインの生活態度を述べるわけだが、特に彼の場合、生活態度は、知的態度や倫理的態度と密接に関連しており、全く純粋に単独で語ることはできない。ここで少し、一般に、生活と思想との関連ということについて述べてみたい。普通の場合、個人において、思想が客体視され確立される以前に、習慣的な生活というものがある。(これはヴィトゲンシュタインにおいても同様であろう。)そして、大ざっぱに区別すれば、思想が確立されないで、いつまでも習慣的な生活を営み続ける人と、思想が確立されて、それによって習慣的な生活を整序しコントロールしていく人がある、と言えるだろう。そして、思想と生活の密着度が高いとき、それはよく真の思想であると言われ、低いとき、虚偽の思想であると言われる。何故そのように言われるのだろう。これは、思想は生活のためにあり、その人自らが実践することによってのみ、思想の正当性(存在意義)が保たれると一般に考えられているからであろう。そしてもし、以上のことを認めるならば、ヴィトゲンシュタインは、真の思想家であると言える。すなわち、彼の思想は宙に浮いておらず、しっかりと生活に根差しているのである。したがって、彼の生活態度は、多くの場合、彼の知的態度や倫理的態度と深い関わりを持っている。第二節として、生活態度を述べるわけだが、そんなわけで、特に生活と呼ぶにふさわしい舞台におけるヴィトゲンシュタインの態度、ということになる。

ヴィトゲンシュタインの生活における特徴として、まず最初に思い浮かぶのは、簡素さと清潔さである。服装はいつも、薄ネズミ色のフランネルのズボンをはき、フランネルのワイシャツの胸元のボタンをはずし、その上から労働者風の革のジャンパーを着用していた。そしてそれらは、非常に清潔にしてあり、靴もよく手入れしてあったということである。この簡素さと清潔さという表面にあらわれたものの奥底には、形式的な権威に対する彼の不信の念があったようだ。簡素さと清潔さは、一面では、いわば形式的な権威というものの気取りと偽善に対する抵抗の自己表現であったと思われる。それに関する事例を挙げよう。

ヴィトゲンシュタインは、教職に対する自己嫌悪を持っていた。学者の生活というものを毛嫌いしていたのである。ヴィトゲンシュタインにとって、学者仲間の気障ったらしいつき合いは鼻もちならないものであり、カレッジの食堂で交わされる先生たちのとりすました会話や調子のいい会話には、嫌気がさしたのである。そんなわけで、あるときお茶の席で、ヴィトゲンシュタインは、哲学の教師になるというマルコムの希望を思いとどまらせたがり、何かその代わりに農場や牧場のようなところでできる筋肉労働がないものか、と尋ねたということである。

さて、簡素さと清潔さに関してさらに述べる。ヴィトゲンシュタインが講義を行ったトリニティーカレッジの自室は、質素な設備しかなく、また装飾品も絵画も写真もなかった。したがって壁はむき出しであった。居間には簡単な椅子が二、三脚あり、旧式な鉄製のストーブが中央にポツンと置いてあった。窓には鉢植え箱、部屋の中には花瓶が一つ二つあった。その他にあるものと言えば、草稿類を入れる金庫とトランプテーブルぐらいであった。寝室も、簡素なベッドが一つ置いてあるだけであった。そして、室内は常に念入りに掃除が行きとどいていた。

また、清潔さを示すものとして、ヴィトゲンシュタインが、1949年、アメリカにマルコムを訪問したときの逸話がある。ヴィトゲンシュタインは、食事の後、皿洗いをすると言ってきかず、皿洗い用の洗剤と十分なお湯があるか、またちゃんとした皿洗いの道具があるかどうかについて、うるさかった。そして、あるときマルコムが、ゆすぎをよくしないといって、厳しく叱りつけた、ということである。

このような簡素さと清潔さは、彼の几帳面さ、さらには潔癖主義へとつながっているようだ。よく言えば完璧主義と言えようか。これもマルコムの家でのことだが、水洗便所のウキが駄目になったとき、ヴィトゲンシュタインは、張り切って修理を手伝った。彼はこと器械のことになると、非常に関心を示した。そして、以前トリニティーカレッジにいたころ、マルコムを伴ってがんじょうな構造を持ったトイレを見に行ったことがあったが、それと比較して、マルコム宅のトイレは出来が悪い、と評を下したということである。マルコムは次のように言っている。

彼は、きちんとした職人仕事に対しては賞賛の言葉を惜しまなかったが、いい加減なデタラメな仕事に対しては、純粋に道義的な立場から許そうとしなかった。自分の仕事を完璧にしようとがんばるような職人が、この世にいるだろうと、ヴィトゲンシュタインは考えたがった。本来そうあるべきだという、ただそれだけの理由からそう思っていたのである。(前出「ヴィトゲンシュタイン天才哲学者の思い出」109頁)

このヴィトゲンシュタインの生活態度における簡潔さや完璧主義は、彼が1926年から28年にかけて設計した、すぐ上の姉のマルガレーテ・ストンボロウ夫人の邸宅にも象徴的に表われていると言われる。この建築物の設計に関しては、細部にわたるまで、彼の性格をいかんなく発揮して行われたとする説と、建築家のエンゲルマンによって、すでに設計図は出来上がっており、ヴィトゲンシュタインは、部分的にしか手をつける余地がなかったとする説があるが、後者の説が有力である。

一般には、この建築は、初めはヴィトゲンシュタインとエンゲルマンの共同で行われ、後にはエンゲルマンの分を引きうけてヴィトゲンシュタイン一人で行われ、出来上がった建築は「論考」と同じように、全くヴィトゲンシュタイン的であると言われているが、そうではないと思う。なぜならこの建築は、窓の様子を別にすれば、全くロース的であり、ヴィトゲンシュタインのオリジナリティーは感じられないから。基本設計は、ロースの弟子エンゲルマンのものであり、エンゲルマンによるその設計図も残っているという。(黒崎宏「ヴィトゲンシュタインの生涯」(「ヴィトゲンシュタイン全集別冊付録」所収)11頁)

しかし、とにかくヴィトゲンシュタインが携わった建築ということで、様々な論評が為されている。建築家の磯崎新氏によると、ヴィトゲンシュタインの建築の仕事は、マッド・サイエンティスト、あるいはマッド・エンジニアとも言うべき感じで、建物の全体については余り興味がなく、とにかく細かい部分の精度を極端に求めているということである。つまり、ほかの部分はかなり省略しても、ある部分だけは、死にもの狂いで、ミリの単位の精度でやるという奇妙な関心を示しているというのである。(「ヴィトゲンシュタインの現代」(「エピステーメー」1976年10月号所収)16頁)

このような病的幾何学主義とも言える仕事ぶりは、分裂病ではないかとさえ考えられる。確かに、ヴィトゲンシュタインが発病するのではないかと家族も心配していたし、本人もそれは承知していた。この建築の仕事をやらせたのも、弟ルードヴィヒを心配した姉マルガレーテの配慮であったらしい。本人自身が発病を恐れていたということは、1913年、14年に書かれたラッセルへの手紙の中に見出せる。「私はしばしば、自分は気が狂うのではないか、という気がします。」「現在私は、毎日毎日が別の人間です。今日の私は、自分の中で全てが余りに強烈に荒れ狂っているので、自分は気が狂うであろうと確信し、そして翌日の私は、再び全く意気消沈している、といった具合です。」この手紙は、ヴィトゲンシュタインが世捨て人のごとく、独りノルウェーのある寒村に小屋を建てて滞在していたときのものであるが、このときの精神的状況は尋常ではなかったようである。例えば、同じくラッセルへの手紙の中で次のように言っている。「私の魂の底には、間歇泉の底においてのように、絶えずふつふつと煮えたぎっているものがあります。そして私は今も、ついに或る決定的な噴出が生ずることを、待ち望んでいるのです。そうすれば私は、或る今とは別の人間になることができるでしょう。今日はあなたに論理学について何も書くことができません。おそらくあなたは、私が自分自身についてこんなことを考えていることは、時間の浪費であると思うでしょう。しかし一体、もし私が未だに人間でないならば、どうして私は論理学者であり得ましょう。何よりもまず私は自分自身をはっきりさせなければなりません。」

この当時、ヴィトゲンシュタインは、おそらく狂気の一歩手前で、自らの本質をつかみかけていたのではなかろうか。言い換えればある種の価値観を確立しようとしていたのではなかろうか。すなわち、自分自身の世界に対する態度を。そのことを物語るかのように、ラッセルとの価値観の対立を示す、ヴィトゲンシュタインがラッセルに宛てた手紙がある。それを一部引用しよう。「私は、この一週間、我々の関係についてとくと熟考しました。そして、我々は本来お互いに性が合わないのだ、という結論に到達しました。−中略− 我々はすでにしばしば、ある種のテーマが話題にのぼったときには、お互いに不愉快な会話をかわしましたね。そして会話がそのように不愉快になるのは、我々二人のうち一方の側が不機嫌であるといったことの結果ではなく、我々の本質がとてつもなく相違している結果でした。−中略− あなたの価値判断は私の価値判断と同様に善く、あなたの価値判断は、私の価値判断が私の内に深く根を下ろしているように、あなたの内に深く根を下ろしているということ、および、私はあなたに問いただす権利を有しないことを、私は今、完全に理解しています。しかし私は今、それと全く同じ明らかさで、我々はまさにそれゆえに、お互いに正しい友人関係を持ち得ないのだ、ということを理解しています。・・・」

以上、ヴィトゲンシュタインが、当時発狂を恐れつつも、自己の価値観を確立しようとしていた様子を見てきたわけだが、その価値観の内容に関することは、次節、倫理的態度の方で述べることにし、ここでは一まず論を生活態度に戻し、さらに彼の特徴を述べることにする。

ヴィトゲンシュタインの生活態度として、次に、放浪性を挙げたい。彼は、どうやら、一生を通じて、簡素で人里離れた所で暮らしたいという欲求を持っていたようである。さきほど述べたノルウェーでの生活、わざわざ小学校教員養成の師範学校で教育を受けた後、オーストリアの僻地にある小学校で教鞭をとったり、修道院の庭師として働いたり、晩年にはアイルランドの漁村で生活している。このように、とてもケンブリッジの哲学教授とは考えにくい漂泊ぶりは、ヴィトゲンシュタインの大きな特徴であろう。

瑣末なことかもしれないが、ヴィトゲンシュタインはまた、動物好きであったと思われる。マルコムと散歩するときはいつも、パンと角砂糖を用意していって公園の中にいる馬に食べさせた、ということである。また、晩年、アイルランドの漁村では、いろいろな水鳥やアシカを見て楽しんだ。一説に、ヴィトゲンシュタインは、鳥たちを非常によく手なずけていたということである。

ヴィトゲンシュタインは、ときに奇態ともユーモアともわからぬ言動をした。あるときヴィトゲンシュタインとマルコム夫妻が三人で散歩していたときのことである。天体の運行について話していると、ヴィトゲンシュタインが思いついて、三人がそれぞれ太陽、地球、月の立場になって、お互いの運行関係をやってみようと言い出した。マルコムの妻が太陽で同じ歩調で歩く。マルコムは地球で妻の回りをかけ足で回る。そしてヴィトゲンシュタインは、一番大変な月の役を引き受けて、妻の回りを回るマルコムの回りを走って回った。ヴィトゲンシュタインは、この遊びに熱中し、走りながらマルコム夫妻に大声で指示を与え、ついには息が切れて目が回り、くたばってしまった、ということである。この話は実際の出来事だが、ヴィトゲンシュタインは、彼を知らない人から、神秘的で奇矯な人物だと思われ、偽りの噂をずいぶん立てられた。ヴィトゲンシュタインは、床に寝転がって天井を見詰めながら講義をするのだとか、彼がアメリカでマルコム宅に泊まっているとき、彼は厩に寝泊りしていてマルコムだけが面会できるのだとか、彼がアイルランドの漁村に住んでいたとき、彼はトルコで羊飼いをしているとかいった、まことしやかな噂が数多く流れたのである。

さて、以上ヴィトゲンシュタインの生活態度を、簡潔さ、清潔さ、完璧主義、放浪性、動物好き、奇態と述べてきた。これを見てもヴィトゲンシュタインは、類稀れな独特の人物であることがわかる。前節の知的態度と組み合わせてみれば、彼の人物像がかなり鮮明に浮かび上がってくると思う。そして次節の倫理的態度を述べることによって、ヴィトゲンシュタインという人物の核心へと迫ることにする。

次回の予告

第三節 倫理的態度

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2015年12月21日

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(4)

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第二章ヴィトゲンシュタインの生涯と幸福の概念

ヴィトゲンシュタインにおける幸福を考えるに当たって、彼の知的態度、生活態度、倫理的態度の三つについて、具体的事例を挙げて検討してみる。この三つは、第一章で抽象的に述べたヴィトゲンシュタインの幸福観をある程度具体的にとらえるのに、都合がよいと思われる。なお、この三つは、当然相互に密接に関連しているわけだが、便宜上、区別してとり上げることにする。

第一節 知的態度

ヴィトゲンシュタインは、非常に徹底した知的態度の持ち主であった。周囲をはばかることのない知的緊張、容赦ない探求、ユニークな問題の問い方、そして知的良心とでも言うべきもの、それらの特性を具備した「考える魂」であった。こういった知的態度にまつわる数々の逸話があるが、その中の幾つかを挙げながら論を進める。

まず、彼に初めて出会った人ならだれでも、その鮮烈な印象に驚きを禁じ得ない、思考の独特のスタイルについて述べる。ヴィトゲンシュタインとの最初の出会いを述べた文章を二つ引用する。

(A)ノーマン・マルコムの場合(ノーマン・マルコム(板坂元訳)「ヴィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出」八頁)

私が、ヴィトゲンシュタインを見たのは、1938年の秋学期、私のケムブリッジ大学での最初の学期だった。倫理学研究会の集まりで、その晩の研究発表が終わって討論が始まったとき、ある人がどもりがちに批評をやり始めた。自分の言いたいことを必死になって言葉にまとめようとしていたけれども、私には彼が何を言っているのかわからなかった。小声で隣に坐っている人に「だれですか、あれは」と聞くと、一言、「ヴィトゲンシュタイン」という返事が戻ってきた。−中略− ヴィトゲンシュタインの批評は、うまく言葉にならないまま、しばらくとぎれた。けれども、必死になって考えをまとめようとしている努力は目に見えて明らかだった。思考に集中して、両手に力を入れて、相手に語りかけるようにしている身ぶりに、出席者はみんな緊張と期待の中に沈黙を続ける。

(B)G・E・M・アンスコムの場合(石黒英子「ヴィトゲンシュタインと哲学の課題」(「理想」1974、1、N.o.488所収)20頁)

「論理哲学論考」を読んで感銘し、ヴィトゲンシュタインの講義に出席する為にオックスフォードからケムブリッジに移ったアンスコム女史は、1939年、教場でヴィトゲンシュタインを初めて目撃したときの驚きを、今でも生々しく覚えている。ゲルマン的なもっともらしい教授を見出すつもりで教室に入った彼女は、黒板の近くにネクタイなしのシャツの上に皮のジャケットを引っかけた余り背も高くない人が、全く構わぬ態度で考え込んでいるのを見た。形式的な、授業初めのあいさつも説明もせず、すぐに哲学的対話を始める。真青な眼で話し相手を凝視し、人が提出する反論や例にじっと耳を傾けると、暫く考え込んでぼつりぼつりと語りだす。”考える声”でも聞いているようだったそうだ。人々が疑問も感じないで前提している考えの思いも及ばなかった滑稽な帰結を引き出すのが上手で、学生たちは年中吹き出した。「私たちが我慢できずに笑っていると、ヴィトゲンシュタインは何を笑っているのかと訝しげな顔をして私たちを眺め、又真剣に声を出して考えを進め、いや確かに自分は間違っている、と言って数分間沈黙して考え込んだり自分を叱責したり、体裁に一切わずらわされない生な思索家でした。」と彼女は語る。

さて、A、Bに示されたように、ヴィトゲンシュタインは、その圧倒的な人柄で、人々を魅了し、影響を与えたわけだが、その講義の様子をもう少し述べてみよう。マルコムの伝記によると、ヴィトゲンシュタインの講義というのは、非常に独特の形態を持っていた。ヴィトゲンシュタインは、その集まりの間に独創的な研究を行っていた。あるときはみんなの前で一人きりで考え込み、またあるときは対話により授業を進めた。自分一人で考えをまとめようとするときは、みんなの質問や意見を押え、沈黙の中で一点を凝視し、両手で何かをつかみとるようなしぐさをしながら真剣に考えた。また対話においては、出席者に質問を出して、その答えに対して自分の意見を述べるという形であった。そして、誰かが、ヴィトゲンシュタインの言葉に賛成できないようなそぶりを見せると、反論を述べるように厳しく要求した。あるとき、出席者の一人が、反論をうまく表現できなかったとき、ヴィトゲンシュタインは、「なんだ、これじゃあ、このストーブ相手に議論しているみたいだ」と言ったそうである。それにしても彼の希望は、”仲間”と哲学上の問題を論じ合うことであった。それゆえ”親しい仲間の顔”が何人かいるということは、彼にとって重大事であった。

このようなヴィトゲンシュタインについて、同じくマルコムの、適格と思われる指摘があり、ヴィトゲンシュタインの幸福や苦悩について考える一助となると思われるので、ここに引用する。

こういう厳しさは、ヴィトゲンシュタインの強い真理愛に根ざしていたのだと思う。彼は絶えず哲学上の深い問題と苦闘を続けていたのだ。一つの問題が解決できると、そこからまた新しい問題が生まれるという風に休むひまはあり得ない。しかも、いい加減な妥協のできない人、いつも完全に理解できなければ気の済まない人だった。火のように激しく真理を探し求め、全知能をふりしぼって戦い続ける人。だから講義に出席した者はだれも、ヴィトゲンシュタインが知能はもちろん、すさまじい意志の力で、全力をふりしぼっていることを感じることができた。これは、彼の純粋なまた冷酷なまでに厳しい誠実さの一面でもあった。先生としても個人的なつき合いの面でも、近よりにくいというか、おそろしい人という印象を人に与えたのは、他人はおろか自分自身も容赦しない潔癖さに原因があったわけである。(前出「ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出」15頁)

次に、ヴィトゲンシュタインの知的良心とでも言うべきものと思われる逸話を二つ挙げる。

その一つは、1939年のある日、マルコムとヴィトゲンシュタインが散歩していたときのことである。最近起こったヒットラーの暗殺計画はイギリス政府の扇動だという報道に、ヴィトゲンシュタインは、「それが本当だとしても私は驚かない」と言った。そのときマルコムは、英国政府がそのようなことをするとは考えられない、と言い、そのような行動は英国人の国民性に反していると付け加えた。するとヴィトゲンシュタインは激怒し、自分の哲学の訓練から何も学んでいない証拠だと言い、それ以上口をきこうとしなかった。そして、ヴィトゲンシュタインは、そのことを何年間も忘れずにいて、1944年、マルコムへの手紙の中で再び言及している。

「君のことを思うときは、いつも、あの出来事を、僕にとっては、きわめて重大な出来事を思い出さされるのだ。二人で川沿いに鉄橋の方に向かって歩いていたとき、君が言い出した”国民性”について激論したね。あのとき、僕は君の意見のあまりの幼稚さに驚嘆した。僕は、あのとき、こう思った。哲学を勉強することは何の役に立つのだろう。もし論理学の深遠な問題などについて、もっともらしい理屈がこねられるようになるだけしか哲学が君の役に立たないのなら、また、もし哲学が日常生活の重要問題について君の考える力を進歩させないのなら、そして、もし”国民性”というような危険きわまりない語句を自分勝手な意味にしか使えないジャーナリスト程度の良心ぐらいしか、哲学が君に与えるものがないとしたら、哲学を勉強するなんて無意味じゃないか。御存知のように、”確実性”とか”蓋然性”とか”認識”などについて、ちゃんと考えることは難しいことだと思う。けれども、君の生活について、また他人の生活について、真面目に考えること、考えようと努力することは、できないことではないとしても、哲学よりも、ずっと難しいことなんだ。その上、困ったことに、俗世間のことを考えるのは、学問的にははりあいのないことだし、どっちかというと、まったくつまらないことが多い。けれども、そのつまらないときが、実は、もっとも大切なことを考えているときなんだ。」(前出「ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出」34頁)

以上のように、”国民性”などという一般的な言葉というのは、非常にあいまいであるのに、そのあいまいさを吟味することもなく、そのまま議論の中で用いた知的怠慢に対して、ヴィトゲンシュタインは激怒したのだろうが、それに付け加えてもう一つ、倫理的尺度に基づく解釈があるので引用する。

安易に国民性で事象を説明することを嫌った彼は、「英国人は・・・」というマルコムの考え方に怒ったのみでなく、多くの人間の死と苦しみをもたらしているヒットラーを殺すことの是非に悩むこともなく、型どおりの反応を示したマルコムに激しい憤りを感じたのである。(前出「ヴィトゲンシュタインと哲学の課題」22頁)

さて、ヴィトゲンシュタインの知的良心を示すもう一つのエピソードを挙げる。1938年、ケムブリッジにロンドン大学からジョードという哲学者が講演に来たときのことである。彼は当時、「進歩的な文化人としてマスメディアにもてはやされ、一般的な哲学書を数多く書き、定期的に放送もしていた」ということだ。その講演で彼は、ムーアとヴィトゲンシュタインに代表されるケムブリッジ哲学の新方向が、いかに哲学を些細で末梢的なものにしてしまい、ソフィストの遊戯にしてしまったかと慨嘆した。聴講者の一人であったヴィトゲンシュタインは怒りに震えて立ち上がると「あなたはプラトンがどうソフィストを定義したか知っていますか。人の作った質の悪いものをお金のために商う行商人、という定義です。あなたにそのまま当てはまるではありませんか。あなたのようなお方は知的スラム街の家主と言うべきです。」と言い放った。人の思想を受け売りしているような人が、必死で問題を考えている人のことを、些細で末梢的なことをやっている遊戯者であると論評した知的不正直さに、ヴィトゲンシュタインは激怒したのである。

以上、ヴィトゲンシュタインの知的態度というものを眺めてきたわけだが、このように極端で激しい知的態度の持ち主だったがゆえに、彼の生涯は、波乱に満ちており、この知的態度そのものが、いわゆる常識的な幸福と通ずるものであったかどうか、はなはだ疑問である。例えば、学問上の自説の誤解(間違いや誇張)に対する非常な恐れと怒り、剽窃に対する強い反感、他者への過度の疑いと要求、自己嫌悪など、精神をすり減らすような事柄の連続だったように思われる。もっともヴィトゲンシュタインにおける幸福は、通常の意味での幸福ではないことは、第一章の幸福の概念からも容易に理解されよう。それでは、ヴィトゲンシュタインにおける幸福と彼の知的態度とは、どこでどのようにつながっているのであろうか。このことに関しては、今後彼の生活態度、倫理的態度について言及することにより、彼の生涯全体の枠組みを述べた後に論ずることにする。

次回の予告

第二節 生活態度

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2015年11月27日

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(3)

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第五節「生が問題的であることをやめるような具合に生きる(1)」ことによる幸福

ヴィトゲンシュタインにおいては、「世界と生は一つである(2)」と言われる。そして、第一節において、世界というのは、事実の全体としての世界であり、それそのものは、合理的に認識することができず、神秘的な感情によって直観されるものであった。だから、生もそのようなものとして理解するのが妥当であろう。したがって、生の問題は、科学上のありとあらゆる問題に解決が与えられたとしてもなお、残される問題であり(3)、合理的な問が立てられるような問題ではない。ゆえに、生は、実は、通常の意味では問題とはなりえないということになる。そのことは、ヴィトゲンシュタインの「神を信じるとは、生の意義に関する問いを理解することである(4)」という叙述にも、逆説的に表われている。また、次のようにも表現されている。「生の問題の解決を人が認めるのは、この問題が消え去ることによってである。(このことが、永い懐疑の末に生の意義が、ある人々に明らかになったときに、彼らが、この意義がどの点に存するのかを語り得なかったことの理由ではないのか(5))」と。

(1)「草稿1916年7月6日」
(2)「論考」5・621
(3)同右6・52
(4)「草稿」1916年7月8日
(5)「論考」6・521

第六節「永遠に生きる」ことによる幸福

ヴィトゲンシュタインにおいて、「永遠」という言葉は、時間の無限の持続のことではなく、無時間性としてとらえられる。なぜなら、前述したように、生と世界は一つであり、生の限界は世界の限界であり、したがって、生の限界を超えたところまで時間経過を考えて、これを「永遠」と名付けるのは、無意味であるからだ。このように「永遠」が無時間性としてとらえられたとき、「現在のうちに生きる者は永遠に生きる(1)」と言われるのである。そしてまた、「現在の中に生きる人は、恐れや希望なしに生きる(2)」のである。このことは、第三節の、生のほかにはもはや目的を持たないことによって様々な願望を断念し、不満を味わうことのない人生、というものを、別の角度から見たものと言えよう。ヴィトゲンシュタインは、次のように言う。「例え死を前にしても、幸福な人は、恐れを抱いてはならない。時間の中ではなく、現在の中で生きる人のみが幸福である。現在の中での生にとって、死は存在しない。死は、生の出来事ではない。死は、世界の事実ではない(3)」と。

(1)「論考」6・4311
(2)「草稿」1916年7月14日
(3)同右1916年7月8日

次回の予告

第二章ヴィトゲンシュタインの生涯と幸福の概念
第一節 知的態度

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2015年11月17日

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(2)

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第三節 「生のほかにはもはや目的を必要としない」ことによる幸福

ヴィトゲンシュタインにおいて、幸福な人とは、「現に存在することの目的を満たしている」人であり、言い換えれば、「生のほかにはもはや目的を必要としない人、すなわち満足している人」のことである(1)。人間は通常、ただ生きるという目的以外に、様々な目的を持って生活しているわけだが、その場合、様々な願望を伴っている。(ヴィトゲンシュタインは、意志と願望を区別して、意志は行為を伴うが、願望は行為を伴わない、としているが(2)、ここでは、殊更、区別しないことにする)。しかし、前述のように、ヴィトゲンシュタインは、意志の自由というものを積極的には認めず、意志によって世界の出来事に影響を与えることは、不可能であるから、様々な願望は、すべて正の事実として成立するとは限らず、したがって例えば、切実なる願望があったにももかかわらず、その事柄が生起しなかった場合、不満足を感じ、目的は満たされないことになる。これは、生きる以外の目的を持ち、それを願望したために生じた苦難である。だからこの苦難を解決するためには、第二節の終りで述べたように、出来事への影響を断念し、自己を世界から独立させなければならない。

(1)「草稿」1916年7月6日。
(2)同右1916年11月4日。

第四節 「認識に生きる」ことによる幸福

ところで、もう一つ、願望の有無とは無関係に振りかかってくる偶発的な苦難が考えられる。この偶発的な苦難は、消極的な意味でしかない自由意志によっては、避けることができない。では、このような苦難は、どのようにして克復されるのであろうか。ヴィトゲンシュタインは、次のように述べている。「人間は、自分の意志を働かすことはできないのに、この世界のあらゆる苦難をこうむらねばならない、と想定した場合、何が彼を幸福にし得るのであろうか。この世界の苦難を避けることができないというのに、そもそも、いかにして人間は幸福であり得るのか。まさに認識に生きることによって。認識の生とは、世界の苦難をものともせぬ幸福な生である。世界の楽しみを断念し得る生のみが、幸福である。この生にとっては、世界の楽しみは、たかだか運命の恩寵にすぎない(1)」と。かくて、幸福な人とは、行為への意志をすべて捨てて、世界の論理を観想し、その必然性に従う人である(2)、ということになる。

(1)「草稿」1916年8月13日。
(2)前出「ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考の研究U」322頁。

次回の予告

第五節「生が問題的であることをやめるような具合に生きる」ことによる幸福
第六節「永遠に生きる」ことによる幸福

お楽しみに!

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2015年11月02日

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(1)

ちょっと探し物をしていたら、当方が36年前(23歳のとき)に書いた卒業論文が出てきました。大変粗雑な内容ではありますが、酔狂にも、卒論全文をブログ記事に書き写してみようと思い立ちました。

003.JPG 002.JPG

卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」 指導教員/(故)永井成男先生

序論

ノーマン・マルコムは、ヴィトゲンシュタインの伝記の最後の部分で、次のように述べている。

4月27日、金曜日、彼は昼すぎ散歩にも出たが、その夜、病状が急に悪化した。頭はずっとはっきりしていて、医師から、あと2〜3日しか持たないだろうと言われたとき、「わかりました」と叫んだ。意識を失う前に彼はベバン夫人に「僕の人生はすばらしかった、とみんなに言ってください」と言った。みんなとは、きっと自分の親しい友達のことを指していたのだろう。彼の底知れないペシミズム、たえず持ち続けた道義的苦しみ、冷酷なまでにきびしく自分を追いつめていった知識への情熱、そして愛情を必要としながらも、愛情を遠ざける結果となった他人に対するきびしさ、といった彼の人となりに思いをいたすとき、ヴィトゲンシュタインの人生はひどく不幸なものだったと私は考えたくなる。けれども、その生涯の終わりに、彼自身はすばらしい人生だったと叫んだ。私には、この言葉は不可解である。けれどもまた、不思議にも人を感動にさそい込む響きを持っている言葉でもある。

私は、ヴィトゲンシュタインという人物に、非常に興味と関心を持っていた。それは、単に彼の波乱万丈の人生の面白さということにとどまらず、彼の生きることに対する真面目さに共感を覚えたからである。彼は、一般に、論理実証主義と日常言語学派双方の創始者と言われるが、彼の人生の生きざまは、その両学派の思想を越えており、むしろ生き方としては、実存的な生き方であったと言えよう。したがって、「幸福」という問題も、より顕著な形であらわれてくる。「幸福」そのものに関する彼自身の言及は極くわずかであるが、それを端緒として、私はより広い視野から彼における幸福というものを考えてみたいと思う。

そもそも幸福の問題を考えることは、純粋に理論的な問題や、技術的な問題を考えるのとは根本的に違っている。すなわち、それは何かから演繹できるような結論ではないし、また、ある特定の目的のために仮説を設定し、実験をし検証できるようなものでもない。というわけで、この論文では、そのような方法ではなく、別の方法をとらねばならない。私の方法は、まず第一章において、彼の代表的な書物における幸福の考え方を概念的にまとめ、一応の理解をした上で、第二章においては、彼の生涯の具体的事例に基づいて、幸福の概念の周辺や幸福に直接関わることを述べることにより、第一章の概念をより明確にし、合わせて人物像を描き出してみたい。そして第三章で、より総合的な視野から、彼における幸福とは何か、ということを考えてみたい。

第一章 「論理哲学論考」および「草稿1914〜1916」における幸福の概念

第一節 ヴィトゲンシュタインにおける「世界」

ヴィトゲンシュタインは、その主著「論理哲学論考」(以下「論考」と略記す)の冒頭で、「世界」の定義をしている。「世界」は、物(対象)の寄せ集めではなく、事実(事象)の寄せ集めであり(1)、そして事実の全体である(2)。事実は、存立している事柄と、存立していない事柄から成り(事実は、存立している事柄のみから成るとする説もあるが、その場合、「世界」は、正の事実の全体から成る狭義の「世界」となる(3))、その総体として、論理空間というものが設定される。したがって「世界」は、論理空間としてとらえられる。そして、事実の全体として限られた「世界」そのものは、合理的に認識することができず、神秘的な感情によって直観されるものである(4)、とされる。(ここに限られた全体としての困難な問題があるが(5)、ここでは省く)。

(1)「論考」1・1。
(2)同右1・11。
(3)末木剛博著「ウィトゲンシュタイン論理哲学論考の研究U」6頁。
(4)「論考」6・45。
(5)前出「ウィトゲンシュタイン論理哲学論考の研究U」3〜5頁。

第二節 ヴィトゲンシュタインにおける「意志」(「世界」との関連において)

ヴィトゲンシュタインは、「意志」の自由を積極的には認めない。それが認められるのは、未来の行為は予知することが出来ない、ということにおいてのみである。未来の行為を確実に予知できる場合というのは、現在と未来との間に、論理必然的な関係があるときだけであり(1)、したがって、経験的な因果関係からは、未来を予知できないのである(2)。すなわち事態(幾つかの事態の複合が事実である)は、相互に独立であり(3)、ある事態から他の事態を推論することは、できないのである(4)。そこには論理的な必然性はなく、そこに、極めて消極的な意味での「意志」の自由の余地があるのである。(したがって、それは、未来に対して働きかけるような意味での意志ではなく、偶然性の別名である)。しかし「世界」は、第一節で述べたとおり、論理空間であるから、論理的な必然性に支配されており、その中で「意志」の自由は認められない。したがって「世界」と「意志」は、相互に独立であり(5)、例え我々の望みどおりの事柄がすべて生起したとしても、それは好運に過ぎず(6)、我々の「意志」の力によるものではない。「意志」と「世界」の関係は、全くの偶然なものにすぎないのである。

このように、「意志」は、未来に何が生起するかわからないという偶然性としてしか、とらえることができず、また「意志」と「世界」は、相互に独立であるということは、結局、「意志」は、外界に影響を与えることができない、ということである。ヴィトゲンシュタインは、次のように述べている。

世界の出来事を、私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である。私は、出来事への影響を専ら断念することによって、自分を世界から独立させることができ、したがって、世界を、やはりある意味で支配し得るのである(7)。

(1)「論考」5・1362。
(2)同右5・1361。
(3)同右2・061。
(4)同右2・062。
(5)同右6・373。
(6)同右6・374。
(7)「草稿1914−1916」(以下「草稿」と略記す)1916年6月11日。

次回の予告

第三節 「生のほかにはもはや目的を必要としない」ことによる幸福
第四節 「認識に生きる」ことによる幸福

お楽しみに!

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    2014年05月18日 イ・ボミが保険の窓口レディスで優勝
    2014年07月27日 イ・ボミ、センチュリー21レディスで今期2勝目
    2014年10月26日 NOBUTA GROUP マスターズGCレディースで大山志保が優勝
    2014年11月15日 ヤマハリゾート葛城・北の丸は、キャンセル
    2014年11月23日 大王製紙エリエールレディスオープンで、横峯さくらが今期初優勝
    2015年03月08日 開幕戦 ダイキンオーキッドレディスでテレサ・ルーが優勝
    2015年03月15日 ヨコハマタイヤレディスで李知姫優勝
    2015年03月29日 アクサレディスで笠りつ子が優勝
    2015年05月19日 ほけんの窓口レディスでイ・ボミ優勝
    2015年05月31日 リゾートトラストレディスは、テレサルーの優勝、今期2勝目
    2015年06月21日 ニチレイレディスで申ジエが大会2連覇、今期ツアー2勝目
    2015年09月06日 ゴルフ5レディスは、イ・ボミが2週連続優勝で今期4勝目
    2015年11月15日 伊藤園レディスでイ・ボミ今期6勝目、史上初の2億円越えで賞金女王を決める 
    2015年11月29日 申ジエ、今期最終戦のリコーカップで6打差ぶっちぎりの優勝
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    2009年02月15日 矢野沙織 in 田原文化会館(2月14日)
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    2010年01月12日 大西順子トリオ・ライブ
    2010年03月22日 矢野沙織 in 月見の里学遊館
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    2010年04月16日 My YouTube 削除と追加 0016
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    2014年05月11日 那王美(vo)&堤智恵子(sax)カルテット @スターアイズ(覚王山)
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    2014年06月15日 堤智恵子ライブ @Swing (新栄)
    2014年06月22日 太田AHAHA雅文ライブ @くすりやさん in 名古屋市中川区
    2014年06月26日 アリス=紗良・オット、フランチェスコ・トリスターノ @コロネット(シビックセンター)
    2014年09月07日 ジャズ講座「ベーシスト稲葉国光が見た日本のトップジャズメンたち」 @リブラ
    2014年09月13日 菅沼直&今岡友美 セプテンバージャズナイト @シビックセンター交流広場
    2015年01月18日 佐藤允彦ジャズ講座・60年代のジャズを語る、弾く 〜ジャズがマグマだった時代〜
    2015年02月14日 松本茜、浜崎航、Valentine Jazz Live vol.6 @リブラ
    2015年02月28日 Hyclad Concert (リブラ/岡崎市図書館交流プラザ)
    2015年07月04日 リブラ七夕ジャズライブ 森谷ワカ(p,v) レコードコンサートとミニライブ
    2015年09月04日 セプテンバージャズナイト 菅沼直カルテット&今岡友美 @シビックセンター
    2015年09月14日 エマニュエル・パユ フルート公開レッスン @シビックセンター
    2015年12月24日 矢野沙織 Bubble Bubble Bebop Live Tour 2015 Second Round@スターアイズ
    2015年12月27日 山中千尋トリオ バースデイライブ2015 冬 @スターアイズ
    2015年12月31日 纐纈歩美 @スターアイズ
    2016年01月17日 「ジャズを語る」【第1回:雑食音楽=ジャズ】講師/佐藤允彦(ジャズピアニスト)
    2016年02月20日 片倉真由子、浜崎航、Valentine Jazz Live vol.7 @リブラ
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