例えば、「りんごが落ちるのはなぜか?」との問いに「万有引力があるから」と答えるのは、新しい見方を提供したにすぎず、「りんごが落ちるのはなぜか」は依然として謎のままだ。そこで「重力とは何か」を探求することになる。これが科学の営みである。
しかし、「なぜ?」と問うのは、基本ダメだ。なぜなら、「なぜ?」はどこまでも続き、無限連鎖するか循環するかしてしまい、リンゴが落ちる理由は永遠にわからない。落ちるものは、ただただ落ちる。これが、あるがまま、ということ。(とどのつまり、科学なんて煎じ詰めれば価値がないと、とんでもないことをイケシャアシャアと言っていることにお気づきだろうか。それならよろしい。)
よって、何度も繰り返し言っているように、学問を学ぶ決定的な理由はない。すなわち、学んでも学ばなくてもどっちでもよい、という結論になる。そのどっちてもいいことに時間を費やすことを決めた酔狂な当方のスタンスは、次のように言い表せる。
時に興味本位で寄り道するのはいいが、基本的には、「自分の学んでいることの立ち位置を把握しておかなければならない」ということである。
どういうことかと言うと、そもそもどっちでもいいことだからこそ、学ぶと決めたからには、なるべく無駄のないように、自分が、目指す方向性のどこに位置しているかを常に把握しながら学ぶ、ということである。
興味の羅針盤は、時にその興味ゆえに、野放図な動きをすることもあろう。それに付き従うことがよい場合もあろうが、すべての興味に迎合していては、時間もなくなるし方向性もなくなってしまう。そのあたりをコントロールしながら進んでいき、ある時点までは、大洋と幾つかの湾を出たり入ったりしながら興味を絞り込んでいき、ある時点以降は、大方一つの湾に入り込み、そのうち幾つかある川を内陸目指して遡るという、そんな方向性でいきたいと思っている。
そして、旅の過程は、それなりに楽しめるだろうが、その行き着く先は、金銀財宝の山ではなく、また奮いつきたくなるような美女たちの宴でもなく、せいぜいが美しい普通の景色程度のものであろうことは承知している。あるがままの景色を見て、「おー、最初からわかっていたとおり、やはりあるがままは、どこまで行ってもあるがままだなあ。あるがまま万歳!」と意味不明とも言える万歳を叫ぶのが関の山だろう。そして、それもまた、あるがままである。
(「わかったから、早く学べや」「アイアイサー(^^)」)
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