2015年12月31日

纐纈歩美 @スターアイズ

纐纈っちゃんのリーダーグループだと、豊橋シャギー以来ですから、5年ぶりになります。ただ、松島啓之さんとのジョイントがありましたので、そこからだと、2年半ぶりになります。今日は水曜日なのに寡黙な纐纈っちゃんも、さすがにリーダーということでマイクをとりましたが、ほとんど雑談なしでした。まあ、若いうちは、言い回しにも長けてないし、図々しさもないし、言葉巧みな関西人でもなく、しかも基本、演奏家なので、そのあたりはしょうがないですわねー。もっとも、歳が行っても松島啓二さんみたいに寡黙な人も居るし、人それぞれという平凡な結論に収まってしまうのかもしれません。

演奏者に女性が2人いらっしゃいましたので、その出で立ちに少し触れておきましょう。纐纈っちゃんは、ごわっと髪の量が多そうな肩くらいまでの茶髪、小さな金色のイヤリング、膝くらいまでの長めの黒のジャケット、黒のインナー、ペイズリーじゃないけれど似た柄の全体としてグレーに見えるスパッツ、黒の短めの編み上げのブーツ、左手に金ぴかの時計とブレスレットをしておられました。いたってシンプルです。加藤真亜沙ちゃんは、それ以上にシンプルで、ポニーテールの茶髪に、小さな金色のイヤリング、細目のネックレス、地味な薄いベージュの半袖のシャツ、七分丈くらいの黒のパンタロン、白と黒のツートンカラーの靴でした。

入場者数は、数え忘れたけれど、1部で45人くらい、2部で40人くらいでしたか。計3回行ったこの年末のスターアイズさんには、毎回、ベッキー似のややポッチャリ目のハタチそこそこの可愛い店員さんが居て、沙織ちゃんのときには、当方オーダー作業用テーブルの近くに座ったこともあり、どうでもいいことを話題に少しお話もいたしました。こんな何気ないひと時の楽しみが妙に心に残る59歳です。ああ、あと4ヶ月足らずで60歳、立派な老人ですか。老人を大切にしよう!

演奏者
纐纈歩美(as)清水行人(g)加藤真亜沙(p)島田剛(b)鈴木宏紀(ds)

纐纈っちゃんは、最近は東京出演が多く、市原ひかりちゃん、松本茜ちゃん、纐纈雅代ちゃん、中島あきはちゃんといった売れっ子とジョイントしていて、良いポジショニングをしていると思います。東京は羨ましいねー。ホットハウス、カフェクレールあたりには、機会があれば行ってみたい。清水行人君は、砂掛康浩君にも師事しているとかのギターリストだが、ギターリストにしては珍しく(砂掛君や小沼君のような)イケメンではなく、ごっつい感じの親しみやすそうなお顔立ちの御仁で、カッコつけることなく淡々と弾いていた。真亜沙ちゃんのピアノは、綺麗で丁寧なタッチながらスピード感もメリハリもついていて、事前にYouTubeで聴いたよりも数段良かった、ちょっと注目株。鈴木宏紀君は、軽快なノリの売り出し中のドラマーのようだ。当方の20年くらい前の友人のエカント君(ギターは玄人はだしで音楽談義、哲学談義をしたものだ)に顔と髪型がよく似ているのだが、最近リーダーアルバムを出したそうだ。纐纈っちゃんにアルバムの宣伝を振られ、「そんな、いいですよー」と言いながら、ちゃんと脇にアルバムを準備していた。島田剛君は、一人だけ年寄り(といっても40そこそこか)だが、この地区では、みんなよく知っているベース奏者である。

演奏曲
第1部
ストローリー(ホレス・シルバー)
アイ・ヒア・ラプソディー
ザ・グッドライフ
ディス・アイ・ディッグ・オブ・ユー(ハンク・モブレー)

第2部
ライク・サムワン・イン・ラブ
リコーダー・ミー(ジョー・ヘンダーソン)
聞き取れなかった
スティープル・チェイス(チャーリー・パーカー)

ディサフィナード(アンコール曲)

posted by frugal gambler at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 纐纈歩美・纐纈雅代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

山中千尋トリオ バースデイライブ2015 冬 @スターアイズ

昨年同時期に、見つけたときにはソールドアウトになっていたスターアイズさんでの千尋ちゃんのライブ。今年も見つけるのがやや遅れた感もありましたが、何とか予約が取れました。ビッグネームの際には、1部・2部が入替制となるスターアイズさんのシステムですが、「通し」だとかなり割引になるので、「通し」で申込みました。ほとんどの方が「通し」で申込んでおられたようです。1部と2部では、演奏曲は全く別だったので良かったです。入場者数は、80人くらいかな。入替が少しあるので、もうちょい行ってたかもしれません。

当方、朝から体調が悪く、ギリギリまで、スターアイズさんに電話してキャンセルしようか迷っていたのですが、高速に乗った時点で決心がつきました。体調は何とか終演まで持ってくれて助かりましたが、家に帰ってバタンキューと寝て4時間後の夜中に吐きました。トイレに行くタイミングが上手く取れず、布団の上にビューと勢いよく吐いてしまいました。洗濯が大変です。とりあえず洗濯機に入るものは押し込んで、お客用の寝具で寝ました。

さて、千尋ちゃんのライブは、5年半前に岡崎のシビックセンターでソロを聴いて以来です。今回は、ピアニストが好むトリオ編成です。ピアノ以外の楽器のリーダーは、ピアノ、ベース、ドラムスを従え、カルテットとなる確率が高いですが、ピアノのリーダーは、他の楽器に邪魔されたくないという部分もあり、また一人当たりの取り分が多くなるということもあるのか、トリオを好むように思います。千尋ちゃんも御多分に洩れず、トリオでよく演奏されているようです。部分的には、ベースとの掛け合いが演奏の一つの特徴となっているかと思います。

千尋ちゃんは、背が低く小柄です。動きの激しい熱血な演奏スタイルの理由の一つは、鍵盤の端のほうに指が届かないといけないから、という面もあるのかもしれません(そんなバカな、とおっしゃいますかね)。千尋ちゃんは、曲の盛り上げ方や自分の見せ方がとても上手いと思います。そして、曲で最高潮に盛り上がった後のトークは、まるで何事もなかったかのようなクールダウンぶり、まさに情熱を取り囲む寺院といった風情です。ジャズは、どんなに盛り上がろうとも、常にクールな音楽です。千尋ちゃんも、極めてクールでクレバーな方なのでしょう。そうでなかったら、ここまで世界的に、のし上がることはできなかったでしょう。

千尋ちゃんも、もう40歳くらいじゃないですかね。ウィキぺディアによれば、1976年12月26日生まれ(39歳)とのこと。スターアイズさんからケーキがプレゼントされましたが、まさにどんぴしゃの誕生日だったとは! 先日の沙織ちゃんが29歳、千尋ちゃんが39歳、そして当方が59歳ということで、とても覚えやすいですが、当方が一番先に死ぬんかーい!。千尋ちゃんは、ユニバーサルに移って10年、これからは新しい10年の始まりとの認識を示されていました。あ、そうそう、今日の千尋ちゃんの出で立ちは、茶髪のショートヘア、漆黒の袖なしミニワンピース、黒のストッキングにピカピカのハイヒールサンダルでした。それでは、今日の演奏曲を紹介し、まだ体調がよくないこともあり、このあたりでこの記事を終わりたいと思います。

演奏者 山中千尋(p)畠山令(b)則武諒(ds) (バークリー出身者トリオ)

演奏曲

1部
ビバリー
Living Without Friday
酒とバラの日々
ジ・エンターティナー

2部
タクシー
ジャスト・イン・タイム
イン・ア・センチメンタル・ムード
八木節

So long(アンコール)
(アルバムと別アレンジも大変良かった。)

posted by frugal gambler at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 山中千尋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

矢野沙織 Bubble Bubble Bebop Live Tour 2015 Second Round @スターアイズ

沙織ちゃんのライブに行くのは、いったい何年ぶりでしょうか。いま調べたら、片倉真由子さんとジョイントした2011年の暮れ以来のようなので、4年ぶりということになります。また、スターアイズさんに伺うのも、「那王美(vo)&堤智恵子(sax)」さん以来なので、1年半ぶりです。

沙織ちゃんは、地味でシックな黄土色のワンピースに幅広の黒ベルト、黄土色のハイヒール(ヒールの内側は薄い赤色)、髪は後ろで小さく短くまとめていて、チンチラみたいなのが付いた黒色の帽子をかぶっておられました。

沙織ちゃん(29歳)、ホント、スリムになられ、端正なお顔立ちの淑女になられました。ムッチリ、ギラギラしていた当時の面影は、もはや全くと言っていいほどありませんでした。トークも、思いつきを語られるときは、相変わらずの、まとまりのない話に流れることもありましたが、総じて以前よりは大分しっかりとした落ち着いた話しぶりになられ、亡きジェームス・ムーディーさんを偲ぶくだりなどは、観客の心に訴えるものがありました。面白いこともけっこうおっしゃり、また穏やかな笑顔が沢山見られました。上手く育っておられるようです。

また、歌を、そこそこ多く歌われました。これまで、いつかキャンディー・ダルファーのように、歌も(要請されて)歌うことになるだろうと思っていたのに、全然オファーが無かったので自ら歌うことにした、みたいな話でした。うん、十分お上手だし、彩(いろどり)が添えられていいんじゃないでしょうか。あと以前からありますが、口笛もありました。

マスターも、もう大分前にお元気になられたみたいで、挨拶し少しだけお話もしました。「元気になられて良かったですね」「ありがとう」みたいな会話でした。本日の入場者数は、50人程度で、沙織ちゃんといえども一頃のような集客は望めませんが、それでも雨の中そこそこの人数が集まり、そこそこ高いランクの入場料を稼げる演奏家の地位を築かれたのは喜ばしいことです。

それでは、最後に、ちょっと適当で、間違っているかもしれないけれど、本日の曲目を振り返って、この記事を終わりたいと思います。

演奏者/矢野沙織(as)後藤浩二(p)日景修(b)黒田和良(ds)

第1部・第2部
バンバーン
メロー・サキソフォン
アバロン
サンタが街にやって来る
Blowin' The Blues Away(フォレス・シルバー)
ラバーマン
ザ・キッカー
ベティー・ブルーのテーマ
ムーディーズ・ムード・フォー・ラブ
バイバイ・バビロン
シェリー(チャーリー・パーカー)
朝日楼(浅川マキ)
曲名忘れた。最近は老化も手伝って、ほとんど何も思い出せないんだよ
ウイスキーがお好きでしょ(アンコール曲)

posted by frugal gambler at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 矢野沙織・市原ひかり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

花咲き乱れる庭で美(うる)わしきは何ぞ?!と叫んでいる御仁

時々何度も繰り返し思い出される事柄なので記事にしておく。
友人とバスに乗って寛(くつろ)いでいた折、友人が、車窓風景を指差して、

「桜が咲いてるよ。・・・僕もそうだけど、君は僕以上に、そういうことに無頓着だね。」

と言ってきました。不意を突かれながらも、確かに!と思った当方は、すかさず、

「風流を語る者に限って、風流を解しないものだよ。」
(当方は普段、風流を語るだけは語るタイプだと想定して、解釈してね!)

と応えました。このやりとり、日常会話にしては奮(ふる)ってると思うけど、如何(いかが)?!

註:ちなみに、標題の「花咲き乱れる庭で美(うる)わしきは何ぞ?!と叫んでいる」のくだりは、当方が高校生のときに読んだ山本佳人さんの「宇宙意識の哲学的研究」という本に出てきた文言です。当方、後生大事に覚えているというわけです。サイン本をいただきましたが、すごく達筆な方でした。



追記/2015年12月30日
山本佳人さん一年以上前に亡くなられていました。ご冥福をお祈りします。
https://www.facebook.com/Amanekutairani/posts/353751101491936
http://www.style-21.jp/board/form9.cgi?action=res&resno=18094&id=Traveler&rno=18385
http://ameblo.jp/azu-bk/entry-11909511437.html

posted by frugal gambler at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

人生の3区分の外延的定義に基づく具体的な年間計画事項2016第1四半期(1月〜3月)

まず、「人生の3区分」を含む「この世の全体像」を示した表を再掲示する。

この世の全体像

0 混沌 →潜在的存在形式(そんなものがあるとするならの話)参考記事
1 「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」→存在そのもの(森羅万象)
2 人生の3区分
2・1 生活
2・2 趣味
2・3 ライフワーク


次に、「人生の3区分」の内容を端的に示した「人生の3区分の外延的定義」を再掲示する。

人生の3区分の外延的定義

2・1 生活
2・11 生活雑務(睡眠、食事、買物、洗濯、掃除、整理整頓、入浴、テレビなど)
2・12 事務的雑務(郵便物ほか各種書類の処理・整理、購入物の検討など)
2・13 健康・医療(漢方、健康食品、測定、運動、人間ドック、検査、治療など)

2・2 趣味
2・21 ブログ
2・22 音楽鑑賞
2・23 女子プロゴルフ観戦
2・24 将棋・コンピュータ将棋観戦
2・25 限定領域の「哲学・数学・計算機科学・自然科学」
2・26 株・為替

2・3 ライフワーク
2・30 空集合


そして、いよいよ「人生の3区分の外延的定義に基づく具体的な年間計画事項2016」の策定である。2016年は、2015年の「記事の見にくさ」の反省を踏まえ、四半期ごとに計画を立てることとし、それらの総和が年間計画となるよう組み立てた。また、各計画項目の掲載順序については、「人生の3区分の外延的定義」番号順(2・11→2・26)とした。

「人生の3区分の外延的定義に基づく具体的な年間計画事項2016」
第1四半期(1月〜3月)

2・11 生活雑務(睡眠、食事、買物、洗濯、掃除、整理整頓、入浴、テレビなど)
101 居間の大掃除・整理整頓
2月頃から1〜2ヶ月かけて、できるかぎりシンプルな部屋にする。

2・12 事務的雑務(郵便物ほか各種書類の処理・整理、購入物の検討など)
102 年賀状の返信
今回は、電話番号の変更も合わせて伝達する。
103 スマートフォンをシムフリー化
携帯電話独占3社に一喝、2月に今の機種のままシムフリー化してみる。
104 医療保険の検討
「107 ゲノム解析の結果の吟味」も踏まえ、医療保険を検討し、場合によっては保険に入る。
105 自動車保険の継続・乗換の検討
現在SBI損保の自動車保険に加入中だが、継続か乗換かを検討し決定する。
106 確定申告
コメントは特になし。

2・13 健康・医療(漢方、健康食品、測定、運動、人間ドック、検査、治療など)
107 ゲノム解析の結果の吟味
多少なりとも「104 医療保険の検討」に資すると同時に、結果の吟味・検証を行なう。

2・23 女子プロゴルフ観戦
108 ヤマハ・レディスオープン
3月31日(木)〜4月3日(日)に行なわれるので、現地で観戦する。

2・24 将棋・コンピュータ将棋観戦
109 第1期(新)電王戦二番勝負(ponanza 対 山崎隆之八段)
開催日程は未定だが、春先に行なわれる予定。ニコニコ動画で観戦する。

2・25 限定領域の「哲学・数学・計算機科学・自然科学」
110 放送授業「情報の世界」の学習と受験
残り約半数の授業の受講、全体の復習、過去問を解いて試験対策、1月末の試験
111 放送大学2016年度前期の受講科目の検討と申込
放送授業は、「科学的探究の方法」を1科目だけ受講しようかと思っている。面接授業は、まだ発表されておらず、内容にもよるが、0〜2科目の受講としたい。

2・26 株・為替
112 必勝法の学習
教材は、すでに半年前くらいに購入済みなので、教材とメールマガジンで学習する。

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2015年12月21日

2015年、第4四半期(10月〜12月)を振り返って

06 終身の医療保険に選んで入る/該当カテゴリ → 1・15 事務的雑務(郵便物ほか各種書類の処理)

<スケジュール>
3月 誕生月が4月なので、どうせなら3月までに検討・選択して入る予定。

この項目は、とうとう、年末までに終えられず、やり残してしまった。もっとも、医療保険は、「最も保険らしくない保険」とも言われており、「医療保険不要論」を唱えるネット上の論者も多い。よって、「医療保険には入らない」という決断もあり得る。それも含め、次の年に持ち越して検討することとする。

07 音楽ライブへの参加、「道中を彩る12枚のCDたち」の作成/該当カテゴリ → 1・22 音楽鑑賞

<スケジュール>
11月 岡崎ジャズストリート(まだ開催は決定していないかもしれない)

今年は、岡崎ジャズストリートには行かなかった。天気が悪いか体調が悪いか、何かあったかと記憶するが、はっきり覚えていない。

12 放送大学2015年後期に受講する科目の選択と受講・通信指導/該当カテゴリ → 1・25 生物学(ゲノム、生命の起源、進化論)、1・26 限定領域の哲学・数学・計算機科学

<スケジュール>
10月〜11月 11月末くらいまでに、少なくとも過半数程度の講義を受けておく。通信指導を受ける。

「情報の世界」の過半数程度の放送授業を受け、通信指導を受けた。

12月〜翌1月 残りの講義を受講し、翌1月末くらいに行なわれる単位認定試験を受ける。

「情報の世界」の残りの放送授業は、来年1月に入ってから受ける予定。試験は、来年1月末である。

ちなみに、面接授業(スクーリング)の「現代数学の歩んだ道」「身近な統計学」「初歩の離散数学」は、それぞれ受講を終えた。

13 放送大学関連読書/該当カテゴリ → 1・25 生物学(ゲノム、生命の起源、進化論)、1・26 限定領域の哲学・数学・計算機科学

1・25 「進化とはなんだろうか」(長谷川眞理子著)、「遺伝とゲノム」(Newton別冊)
1・26 「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」(野矢茂樹著)、「哲学的な何か、あと科学とか」(飲茶著)、「科学哲学の冒険」(戸田山和久著)、「哲学入門」(戸田山和久著)、「集合論入門」(赤摂也著)、「数学基礎論」(隈部正博著)、「基礎情報科学」(河合慧・萩谷昌己著)、思考する機械コンピュータ(ダニエル・ヒリス著)、「ウィトゲンシュタインVS.チューリング」(水本正晴著)、「ボナンザVS勝負脳」(保木邦仁・渡辺明著)、「人間に勝つコンピュータ将棋の作り方」(瀧澤武信監修)

<スケジュール>
一年間で読みきれるとはとても思えない。読みやすそうなもの、興味のあるものから、1冊ずつ読み終える形で進めていく。読書のスケジューリングは重荷になるので敢えてしない。何年も掛けて読むつもりで、気楽に読んでいく。なるべく多く読みたいが、上記全ての本を読むとは限らない。

これらは、今年は、ほとんど読まなかった(ほんの一部だけ、読んだ)。

14 ゲノム解析/該当カテゴリ → 1・25 生物学(ゲノム、生命の起源、進化論)

<スケジュール>
10月〜12月 年末くらいまでに、ゲノム解析を実施したいと思うが、来年以降になるかもしれない。

ゲノム解析は、定価の三分の一くらいの値段でキャンペーンが行われたタイミングで行なった。結果は既に出ているが、まだ細かい内容の吟味は行なっていない。

15 検査と治療(胃・腎・歯)、人間ドック/該当カテゴリ → 1・16 医療

<スケジュール>
まだ決めてないが、遅くとも年内には、それぞれの検査あるいは治療を行ないたい。人間ドックは、たぶん8月くらいに行なうことになると思う。

胃の内視鏡検査、歯の治療は、まだやってない。

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卒業論文「ヴィトゲンシュタインにおける幸福」(指導教員/故・永井成男先生)(4)

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第二章ヴィトゲンシュタインの生涯と幸福の概念

ヴィトゲンシュタインにおける幸福を考えるに当たって、彼の知的態度、生活態度、倫理的態度の三つについて、具体的事例を挙げて検討してみる。この三つは、第一章で抽象的に述べたヴィトゲンシュタインの幸福観をある程度具体的にとらえるのに、都合がよいと思われる。なお、この三つは、当然相互に密接に関連しているわけだが、便宜上、区別してとり上げることにする。

第一節 知的態度

ヴィトゲンシュタインは、非常に徹底した知的態度の持ち主であった。周囲をはばかることのない知的緊張、容赦ない探求、ユニークな問題の問い方、そして知的良心とでも言うべきもの、それらの特性を具備した「考える魂」であった。こういった知的態度にまつわる数々の逸話があるが、その中の幾つかを挙げながら論を進める。

まず、彼に初めて出会った人ならだれでも、その鮮烈な印象に驚きを禁じ得ない、思考の独特のスタイルについて述べる。ヴィトゲンシュタインとの最初の出会いを述べた文章を二つ引用する。

(A)ノーマン・マルコムの場合(ノーマン・マルコム(板坂元訳)「ヴィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出」八頁)

私が、ヴィトゲンシュタインを見たのは、1938年の秋学期、私のケムブリッジ大学での最初の学期だった。倫理学研究会の集まりで、その晩の研究発表が終わって討論が始まったとき、ある人がどもりがちに批評をやり始めた。自分の言いたいことを必死になって言葉にまとめようとしていたけれども、私には彼が何を言っているのかわからなかった。小声で隣に坐っている人に「だれですか、あれは」と聞くと、一言、「ヴィトゲンシュタイン」という返事が戻ってきた。−中略− ヴィトゲンシュタインの批評は、うまく言葉にならないまま、しばらくとぎれた。けれども、必死になって考えをまとめようとしている努力は目に見えて明らかだった。思考に集中して、両手に力を入れて、相手に語りかけるようにしている身ぶりに、出席者はみんな緊張と期待の中に沈黙を続ける。

(B)G・E・M・アンスコムの場合(石黒英子「ヴィトゲンシュタインと哲学の課題」(「理想」1974、1、N.o.488所収)20頁)

「論理哲学論考」を読んで感銘し、ヴィトゲンシュタインの講義に出席する為にオックスフォードからケムブリッジに移ったアンスコム女史は、1939年、教場でヴィトゲンシュタインを初めて目撃したときの驚きを、今でも生々しく覚えている。ゲルマン的なもっともらしい教授を見出すつもりで教室に入った彼女は、黒板の近くにネクタイなしのシャツの上に皮のジャケットを引っかけた余り背も高くない人が、全く構わぬ態度で考え込んでいるのを見た。形式的な、授業初めのあいさつも説明もせず、すぐに哲学的対話を始める。真青な眼で話し相手を凝視し、人が提出する反論や例にじっと耳を傾けると、暫く考え込んでぼつりぼつりと語りだす。”考える声”でも聞いているようだったそうだ。人々が疑問も感じないで前提している考えの思いも及ばなかった滑稽な帰結を引き出すのが上手で、学生たちは年中吹き出した。「私たちが我慢できずに笑っていると、ヴィトゲンシュタインは何を笑っているのかと訝しげな顔をして私たちを眺め、又真剣に声を出して考えを進め、いや確かに自分は間違っている、と言って数分間沈黙して考え込んだり自分を叱責したり、体裁に一切わずらわされない生な思索家でした。」と彼女は語る。

さて、A、Bに示されたように、ヴィトゲンシュタインは、その圧倒的な人柄で、人々を魅了し、影響を与えたわけだが、その講義の様子をもう少し述べてみよう。マルコムの伝記によると、ヴィトゲンシュタインの講義というのは、非常に独特の形態を持っていた。ヴィトゲンシュタインは、その集まりの間に独創的な研究を行っていた。あるときはみんなの前で一人きりで考え込み、またあるときは対話により授業を進めた。自分一人で考えをまとめようとするときは、みんなの質問や意見を押え、沈黙の中で一点を凝視し、両手で何かをつかみとるようなしぐさをしながら真剣に考えた。また対話においては、出席者に質問を出して、その答えに対して自分の意見を述べるという形であった。そして、誰かが、ヴィトゲンシュタインの言葉に賛成できないようなそぶりを見せると、反論を述べるように厳しく要求した。あるとき、出席者の一人が、反論をうまく表現できなかったとき、ヴィトゲンシュタインは、「なんだ、これじゃあ、このストーブ相手に議論しているみたいだ」と言ったそうである。それにしても彼の希望は、”仲間”と哲学上の問題を論じ合うことであった。それゆえ”親しい仲間の顔”が何人かいるということは、彼にとって重大事であった。

このようなヴィトゲンシュタインについて、同じくマルコムの、適格と思われる指摘があり、ヴィトゲンシュタインの幸福や苦悩について考える一助となると思われるので、ここに引用する。

こういう厳しさは、ヴィトゲンシュタインの強い真理愛に根ざしていたのだと思う。彼は絶えず哲学上の深い問題と苦闘を続けていたのだ。一つの問題が解決できると、そこからまた新しい問題が生まれるという風に休むひまはあり得ない。しかも、いい加減な妥協のできない人、いつも完全に理解できなければ気の済まない人だった。火のように激しく真理を探し求め、全知能をふりしぼって戦い続ける人。だから講義に出席した者はだれも、ヴィトゲンシュタインが知能はもちろん、すさまじい意志の力で、全力をふりしぼっていることを感じることができた。これは、彼の純粋なまた冷酷なまでに厳しい誠実さの一面でもあった。先生としても個人的なつき合いの面でも、近よりにくいというか、おそろしい人という印象を人に与えたのは、他人はおろか自分自身も容赦しない潔癖さに原因があったわけである。(前出「ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出」15頁)

次に、ヴィトゲンシュタインの知的良心とでも言うべきものと思われる逸話を二つ挙げる。

その一つは、1939年のある日、マルコムとヴィトゲンシュタインが散歩していたときのことである。最近起こったヒットラーの暗殺計画はイギリス政府の扇動だという報道に、ヴィトゲンシュタインは、「それが本当だとしても私は驚かない」と言った。そのときマルコムは、英国政府がそのようなことをするとは考えられない、と言い、そのような行動は英国人の国民性に反していると付け加えた。するとヴィトゲンシュタインは激怒し、自分の哲学の訓練から何も学んでいない証拠だと言い、それ以上口をきこうとしなかった。そして、ヴィトゲンシュタインは、そのことを何年間も忘れずにいて、1944年、マルコムへの手紙の中で再び言及している。

「君のことを思うときは、いつも、あの出来事を、僕にとっては、きわめて重大な出来事を思い出さされるのだ。二人で川沿いに鉄橋の方に向かって歩いていたとき、君が言い出した”国民性”について激論したね。あのとき、僕は君の意見のあまりの幼稚さに驚嘆した。僕は、あのとき、こう思った。哲学を勉強することは何の役に立つのだろう。もし論理学の深遠な問題などについて、もっともらしい理屈がこねられるようになるだけしか哲学が君の役に立たないのなら、また、もし哲学が日常生活の重要問題について君の考える力を進歩させないのなら、そして、もし”国民性”というような危険きわまりない語句を自分勝手な意味にしか使えないジャーナリスト程度の良心ぐらいしか、哲学が君に与えるものがないとしたら、哲学を勉強するなんて無意味じゃないか。御存知のように、”確実性”とか”蓋然性”とか”認識”などについて、ちゃんと考えることは難しいことだと思う。けれども、君の生活について、また他人の生活について、真面目に考えること、考えようと努力することは、できないことではないとしても、哲学よりも、ずっと難しいことなんだ。その上、困ったことに、俗世間のことを考えるのは、学問的にははりあいのないことだし、どっちかというと、まったくつまらないことが多い。けれども、そのつまらないときが、実は、もっとも大切なことを考えているときなんだ。」(前出「ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出」34頁)

以上のように、”国民性”などという一般的な言葉というのは、非常にあいまいであるのに、そのあいまいさを吟味することもなく、そのまま議論の中で用いた知的怠慢に対して、ヴィトゲンシュタインは激怒したのだろうが、それに付け加えてもう一つ、倫理的尺度に基づく解釈があるので引用する。

安易に国民性で事象を説明することを嫌った彼は、「英国人は・・・」というマルコムの考え方に怒ったのみでなく、多くの人間の死と苦しみをもたらしているヒットラーを殺すことの是非に悩むこともなく、型どおりの反応を示したマルコムに激しい憤りを感じたのである。(前出「ヴィトゲンシュタインと哲学の課題」22頁)

さて、ヴィトゲンシュタインの知的良心を示すもう一つのエピソードを挙げる。1938年、ケムブリッジにロンドン大学からジョードという哲学者が講演に来たときのことである。彼は当時、「進歩的な文化人としてマスメディアにもてはやされ、一般的な哲学書を数多く書き、定期的に放送もしていた」ということだ。その講演で彼は、ムーアとヴィトゲンシュタインに代表されるケムブリッジ哲学の新方向が、いかに哲学を些細で末梢的なものにしてしまい、ソフィストの遊戯にしてしまったかと慨嘆した。聴講者の一人であったヴィトゲンシュタインは怒りに震えて立ち上がると「あなたはプラトンがどうソフィストを定義したか知っていますか。人の作った質の悪いものをお金のために商う行商人、という定義です。あなたにそのまま当てはまるではありませんか。あなたのようなお方は知的スラム街の家主と言うべきです。」と言い放った。人の思想を受け売りしているような人が、必死で問題を考えている人のことを、些細で末梢的なことをやっている遊戯者であると論評した知的不正直さに、ヴィトゲンシュタインは激怒したのである。

以上、ヴィトゲンシュタインの知的態度というものを眺めてきたわけだが、このように極端で激しい知的態度の持ち主だったがゆえに、彼の生涯は、波乱に満ちており、この知的態度そのものが、いわゆる常識的な幸福と通ずるものであったかどうか、はなはだ疑問である。例えば、学問上の自説の誤解(間違いや誇張)に対する非常な恐れと怒り、剽窃に対する強い反感、他者への過度の疑いと要求、自己嫌悪など、精神をすり減らすような事柄の連続だったように思われる。もっともヴィトゲンシュタインにおける幸福は、通常の意味での幸福ではないことは、第一章の幸福の概念からも容易に理解されよう。それでは、ヴィトゲンシュタインにおける幸福と彼の知的態度とは、どこでどのようにつながっているのであろうか。このことに関しては、今後彼の生活態度、倫理的態度について言及することにより、彼の生涯全体の枠組みを述べた後に論ずることにする。

次回の予告

第二節 生活態度

お楽しみに!

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2015年12月16日

「物理」と「心理」のざっくりな違い

まず、この議論は、粗雑で大雑把なものであることをお断りしておく。もっとも、完璧に厳密な議論などというものは、現実的には存在しないことも確かだ。よって、そもそも、何らかの議論をした時点で、粗雑で大雑把なものとなることは避けられない。すなわち、議論とは、多かれ少なかれ、いい加減なものだ。

さて、「心理」は、生命体の存在する所に発生する(ただし、生命体と非生命体の明確な区別は捨象する)。ミジンコがイライラしてミドリムシを蹴った。この場合、ミジンコは生命体と仮定されており、「イライラして」の部分が「心理」である。

次に「物理」は、非生命体に発生する場合と、生命体の「心理」を除いた部分に発生する場合がある。前者は、地球と隕石がぶつかった(地球と隕石は非生命体と仮定される)などであり、後者は、ミジンコがミドリムシを蹴った(ミジンコは生命体と仮定される)などである。

生命体が居ない世界を仮定すると、その世界では、「物理」のみが発生しており、非生命体の居ない世界(例えば「夢」の世界)では、「心理」のみが発生している。ちなみに、生命体も非生命体も居ない世界(「無」の世界)では、「物理」も「心理」も発生しない。

現在の地球世界では、たまたま生命体と非生命体が共存しており、「物理」と「心理」が並存している。それゆえ、ミジンコがイライラしてミドリムシを蹴る、わけだ(とは言っても「イライラする」と「ミドリムシを蹴る」の因果関係は釈然としないが、何らかの因果関係があったと仮定する)。

ミドリムシには、ミジンコに蹴られたことは分かるが、ミジンコがイライラしていたことについては分からない。また、ミドリムシには、イライラする、という概念自体が無いかもしれないし、イライラする、という概念は有っても、それゆえ蹴られるという因果関係を理解できないかもしれない。

そして、何はともあれ、今度は、ミドリムシが、頭に来てミジンコを殴った(ミドリムシには、頭に来る、という概念があったと仮定する。そして、「蹴られると頭に来る」、という何らかの因果関係と、「頭に来るとミジンコを殴る」という何らかの因果関係があったと仮定する)。

さて、「イライラする」や「頭に来る」が「心理」であり、「蹴る」や「殴る」が「物理」である(ちなみに、これら事象の一部始終が「蝶の夢」だったとすれば、全ては「心理」ということになるが、この場合は「蝶の夢」ではなかったと仮定する)。

ミジンコやミドリムシが、どのように考え、どのような因果関係の下に行動したのかは、推測の域を出ないどころか、当人以外には、ほとんど理解できない。いや、煎じ詰めれば、当人すら理解できないだろう。そもそもミジンコは何故イライラしたのか、そして、どんな因果関係でミドリムシを蹴ったのか、ミドリムシは、蹴られて何故頭に来たのか、どんな因果関係でミジンコを殴ったのか、それらの作用機序は、煎じ詰めれば全て分からない。それぞれの事象の因果関係(作用機序)は、離散的であり連続的ではない。

はっきりしていると思われるのは、「ミジンコがミドリムシを蹴ったこと」、そして「ミドリムシがミジンコを殴ったこと」だけだ。それらが「物理」であり、「物理」は、生命体の認識の有無に関わらず、はっきりした事実である。一方、「心理」は、生命体各々の私的認識に依拠するし、生命体各々にとってすら、煎じ詰めれば、はっきりしない事象である。

理由や因果関係は、煎じ詰めれば、時間的・空間的にどこまでも広がって雲散霧消してしまう。本当の理由や、きちんとした因果関係などというものは無く、蹴ったこと、殴ったことだけが、生命体の認識の有無に関わらず、はっきりとした事実となる。

「心理」は、個々の生命体に宿るが、自分自身の心理も含め、他者の心理は、煎じ詰めれば、はっきりしない。自分自身を誤解することもあるだろうし、他者を誤解することは幾らでもあり得る。また、「心理」と「物理」(行動)との間には、はっきりした因果関係は無い。だから、例えば、他者の「心理」を推測して行動することは、有って勿論いいが、当てずっぽうみたいなことになりかねない。

コミュニケーションは、煎じ詰めれば、原理的に成り立たないが、当てずっぽうがたまたま上手くいったコミュニケーションは、それなりに良く、当てずっぽうがたまたま凶と出たコミュニケーションは、それなりに悪い。コミュニケーションがお互いの脳内に留まっている場合は、完全なる誤解があっても何も起こらなくて平穏無事だが、それが行動に至った場合は、生命体にとって不都合に作用する場合もある。もっとも、それも「物理」としては、すなわち生命体の「心理」を捨象すれば、生命体の不都合をよそに、ただただ淡々と物事が行なわれているだけのことである。まるで、「地球」と「隕石」がぶつかるだけのように。それが「物理」だ。

posted by frugal gambler at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月14日

「哲学」と「数学」のざっくりな違い

通常の多くの哲学は、とどのつまり、各人が好きなことを語っているだけのように見える。そして、哲学フレンドリーな当方が書いている当ブログ記事の一部も、哲学的な雰囲気が基調になっていて、すなわち、当方は好き勝手なことを、哲学的な色合いで、哲学タッチで書いているとも言える。

ただし、それゆえ、哲学は、何となくの理解や大方の理解はできたりすることはあっても、正確なコンセンサスはなかなか得られない。みんな好き勝手な概念を用い、好き勝手に持論を展開しているだけだ。だから、哲学については、もう、みんな、それぞれ、好き勝手なことを述べていればいいのだ。

これは、当方が、放送大学の科目も含め「哲学」と称するものに、あまり興味を示さない理由の1つでもある。哲学的な考え方を比較的好みつつ、とどのつまりは哲学を、ある意味「好まない」のだ。ややともすれば、哲学的言辞を「ガラクタの羅列」とさえ思ったりするのだ。

一方、数学は、基本的に、好き勝手なことを言えない。だから、各人のコンセンサスが得られやすい、あるいは、基本的に共通理解が得られなければならない学問である。それが、当方が数学は苦手なのに、放送大学の科目で主に「数学」関連を受講している理由の1つである。

ただ、数学においても、コンセンサスが得られるか得られないかのギリギリのところに興味があるのは、当方が本質的に哲学体質だからということになるかもしれない。人々が、とりあえず素直に受け入れて先へ進むところを、当方は、イチイチつっかえつっかえ、なかなか前に進まない。むしろ逆に後ずさりしたいくらいだ。

ただ、後ずさりするにも、対象としているもの(この場合、数学)が、ある程度どういうものか理解できていないと一歩も後退すらできない。だから、そもそも前進はあまりしたくないが、言わば後退するために、後ずさりするために、数学の基本形くらいは知識として持っている必要があるだろうと考えている。すなわち、数学の基本を身につけるため、少しくらいは前進もしないわけにはいかなそうだ、ということである。

posted by frugal gambler at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 学問・放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コンピュータ将棋ソフトは評価値次第

当初、弱かった終盤が、今では極めて強くなった将棋ソフト。だから、棋士が強いソフトに勝つための一番の手段は、中盤までに何とかリードして、そのまま何とかミス無く押し切って勝つ、という方法である。もう1つは、裏技的に、何とかソフトの局部的弱点を見つけ出し、そこを突く、という方法である。

一定以上に強いソフトは、当方の知る限り、せいぜい10機種くらいだと思う。強いソフトは、膨大な手が読めるだけではダメで、大方あらゆる場面での評価値が当を得ている、ということである。ここが、ソフト作成者の一番の腕の見せ所であることは、想像に難くない。

それを示す良いエピソードとしては、先日の第3回将棋電王トーナメントの決勝で、ponanzaの評価値は拮抗しているにもかかわらず、nozomiの評価値がnozomi(自分自身)にかなり優勢に振れていた。いよいよponanzaが負けるのかという雰囲気の中、コンピュータ将棋に詳しいプロ棋士の千田翔太五段は、「なんか、評価値がおかしい」と、ずっと疑問を呈しておられた。その矢先、急に評価値の差が縮まり、どうやらnozomiの評価値が自分を過大評価していたらしいことが分かった。そして、同時並列3番勝負の最後に残ったこの1局を征したponanzaが対戦成績2勝1敗で決勝に勝ち、この大会の優勝者となった。

上記nozomiや、AWAKE、NineDayFever、Apery、やねうら王、技巧等々、既に標準的なプロ棋士を上回っていると想像されるソフトが、そこそこの数、存在しているようだが、実績や安定性という部分で現状日本一と思われるのが、ponanzaである。このソフトに棋士が勝つのは、極めて困難であると想像され、棋士トップの羽生さんや渡辺さんですら、今となっては、もはや勝つことは難しいと思う。

今回の第1期叡王戦には、羽生さんも渡辺さんも出場しておらず、今回優勝した山崎さんでは、ますます荷が重いと言わざるを得ない。まあ、人気棋士だし、頑張るだけは頑張ってもらって、華々しく散ってもらう以外なさそうである。山崎さんに対して悪意は全くないが、元々コンピュータ側の応援をしている手前、このように非人道的とも思われるコメントになってしまったことは、少し申し訳ないように思わなくもない。

posted by frugal gambler at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 将棋・チェス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第1期叡王戦 決勝三番勝負は、山崎隆之八段が勝ち、第1期優勝者となる

第1期叡王戦 決勝三番勝負 郷田真隆九段 vs 山崎隆之八段戦は、山崎八段が郷田王将に2−0で勝利し、第1期優勝者となりました。対局中、常時、コンピュータのponanzaが評価値を出していましたが、見た限り、かなり信頼度が高いと思われ、終盤で形勢が二転三転するたびに、クルクル評価値が変わる様を見るにつけ、もう人間ではponanzaに勝ち目がないと認識いたしました。山崎さんは、第1期優勝者になったのはいいが、今度は、ほとんど勝ち目のないponanzaと二番勝負を戦わなければならず、気が重いところでしょう。暗算名人は電卓に勝てるかもしれないが、将棋はもはや、そうはいかなくなったということでしょう。

将棋指しにとっては、とんだ災難かもしれませんが、これも世の趨勢であれば、今後は、事実をしっかりと受け止め、コンピュータとの共存共栄を、謙虚な気持ちで成し遂げていかなければならないでしょう。お客さんも、棋士がコンピュータよりも弱くても、すぐにダメ出しはしないでしょう。棋士はまだまだ一般人より数段将棋が強いのは確かだし、伝統や文化もあり、また女子プロの活躍もあり、ニコニコ動画のような新しいメディアも利用して、コンピュータの地位をちゃんと認め処遇し、多面的に活動を続ければ、将棋界はあと100年くらいは、何とか持ちこたえられるのではないかと思います(もしかしたら末永く)。もっとも、100年もすれば、現役棋士は全て入れ替わっているでしょうけれど。当方も、もちろんシンデレラです。ご愁傷様です。

posted by frugal gambler at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 将棋・チェス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月12日

「人生の3区分」の番号の変更(仮想概念「混沌」を組み入れたため)

これまで、「人生の3区分」は、次のように、「1」として記されていた。

0 「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」=存在そのもの
1 人生の3区分
1・1 生活
1・2 趣味
1・3 ライフワーク

今後は、次のように変更する。

0 混沌
1 「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」→存在そのもの(森羅万象)
2 人生の3区分
2・1 生活
2・2 趣味
2・3 ライフワーク


今後は、上記のように、「人生の3区分」は、「2」として記される。(これぞ、横綱級の「どうでもいい」ことであるが、全ての事象が「どうでもいい(どう・でも・いい→如何様にも有り得る)」のであれば、これとて、その一角を担っているにすぎない)

「人生の3区分」が、なぜ番号「2」となったかと言えば、ご覧のとおり、この表に「混沌」を加えたからである。「混沌」とは、その内容を明確には認識できないどころか、全くもって認識できない仮想上の概念である。イメージとしては、マグマが想像されがちだが、もちろんマグマではない。「混沌」とは、あえて言うとすれば、「現実的に把握することは一切できない、この世の「潜在的存在形式」あるいは「潜勢力」とでも言うべき仮想概念」である。

「混沌」という言葉が先にあり、そのイメージから当方が勝手に解釈し、単なる仮想概念にもかかわらず、上記の表の中に無理やり押し込んだ、言ってみればブラックホール、ダークマターである。宇宙の生成に、ブラックホールやダークマターが仮設されているように、存在の生成に、「混沌」を仮設したというだけのことである(ちなみに、当方は、「存在」を「混沌からの展開相」と仮定している)。「混沌」については、それ以上語ることは全くできず、単なる仮設(仮説)以外の何ものでもない。

「そんなものを表に入れる必要は全くないだろうに」と言われるかもしれないが、「そもそも、どうでもいい表に、どうでもいい「混沌」を入れただけなので、必要云々の前に、全体として、どうでもいいことなのだ」とお答えする以外ない。もっとも、「どうでもいい」すら「どうでもいい」ので、「どうでもいい」と言うことすら、無意味と言えば無意味なことではある。

そんなわけで、何はともあれ、「表」は変更された。もう一度、新しい表を記載する。

0 混沌
1 「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」→存在そのもの(森羅万象)
2 人生の3区分
2・1 生活
2・2 趣味
2・3 ライフワーク


なお、これにともなって、「人生の3区分の外延的定義」の番号も、以下のように変更する。

・1 生活
・11 生活雑務(睡眠、食事、買物、洗濯、掃除、整理整頓、入浴、テレビなど)
・12 事務的雑務(郵便物ほか各種書類の処理・整理、購入物の検討など)
・13 健康・医療(漢方、健康食品、測定、運動、人間ドック、検査、治療など)

・2 趣味
・21 ブログ
・22 音楽鑑賞
・23 女子プロゴルフ観戦
・24 将棋・コンピュータ将棋観戦
・25 限定領域の「哲学・数学・計算機科学・自然科学」
・26 株・為替

・3 ライフワーク
・30 空集合

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2015年12月11日

「発明」と「発見」

下記の議論は、煎じ詰めれば「どうでもいい」議論であることを、初めにお断りしておく。ついでに、この議論に限らず、あらゆる議論、あらゆる当方の記事、あらゆる概念、ありとあらゆる全ての物事は、煎じ詰めれば「どうでもいいもの」であることにも言及しておく。「そんなの言われなくても当たり前だ」という方は、当方とコンセンサスが取れているわけで、思考スタイルが一致しているかもしれない。

以前の記事でも、「発明」と「発見」について言及している。一般的には、「ゼロの発見」と言われるが、当方「ゼロの発明」だと思っている。

それ(ゼロの発明なり発見なり)について詳しいことは全く知らないので、(「軽々には言えない」ではなく)軽々に言うならば、ゼロという概念は、それまで無かったわけで、無いものは発見しようがない、ということである。

ある土器が出てきた。この土器は、恐らくは今までもそこに埋まっていたと推定されるので、「発見」である。今までも有ったものを、初めて見つけたわけで、これは「発見」でいいだろう。

一方、ゼロというのは、概念だが、概念というのは、通常、人間の頭の中に存在するものだから、もし「ゼロの概念」が誰かの頭の中にあったとしても、それを他人が発見できようはずもなく、仮に「発見」するとしても、それが可能なのは本人だけだ。しかし、「ゼロの概念」がその人の頭に発生した瞬間に、その人はそれを見つけるわけだから、それは同時進行、すなわち「ゼロの概念」が浮かんだ瞬間が「ゼロの発見」である。そのような場合、それを称して「発見」と言うだろうか。それは、その人の思いつきであり、すなわち今まで無かったものを見つけることは、「発見」ではなく「発明」であろう。

翻って、学問というのは、「発明」に満ち満ちているように思う。

考古学の土器などは、「発見」ということでいいと思うが、その「土器の発見」から派生する「解釈」は、「発明」であろう。Aという解釈もあれば、Bという解釈もある。「発見されたということ」だけが事実であり、それが本物かどうかも厳密には分からないだろう。「本物かもしれない土器が発見されたということ」だけが事実であり、本物かどうかも厳密には分からないものから帰結する考古学上の学説は全て、(仮に土器が本物であってもなお)仮説であろう。

学問は全て、「仮説」や「発明」から成り立っていると思う。「仮説」は事実ではなく、どんな仮説も煎じ詰めれば永久に証明されない。また発明は、想像力の産物で、これまた事実ではない(誰かが発明したというのは事実だが、発明された学説などは事実ではない)。

学問は、通常鹿爪らしく考えられているほど大そうなものではなく、山登り同様、楽しみの一つであり、学びたければ学べはよい程度の娯楽である。まあ「学問が娯楽だ」というのは、当方独自の位置づけであり、当方の発明にすぎない概念だが、学問は少なくとも鹿爪らしい大そうなものではない、ということである。

何かが語られた場合、語ったということは事実だが、語った内容は、煎じ詰めれば事実とは言いがたい。語るという現象は事実だが、その内容は、事実とは言いがたい。全ての言辞は、煎じ詰めれば、どうでもいい(どう・でも・いい→如何様にもあり得る)。仮に、人間に声帯が無かったとしたら、ペンを持つ指が無かったとしたら、全く違う文化になっていただろう。それはそれで、あるがままの文化である。もちろん、現行の文化も、一つのあるがままの文化である。

「君は、当たり前のことばかり話しているけれど、話す必要、あるの?」と問われ、
「必要はないけど、話したっていいでしょ?! それもまた、あるがままということで・・・」
などと答えれば、
「毎度、ご苦労さまっ」と皮肉交じりに揶揄される、そんな今日この頃ですかね。

posted by frugal gambler at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 学問・放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

「あるがまま=不可知論」と「人生(とりわけ生活)」とのギャップ

「あるがまま」とは、とどのつまりは「何一つ分からない」ということである。分かっているのは、「ある」ということくらいだが、それだって「ある」とは何かと問われることにより、「ある」ということ自体、分からなくなってしまう。「分からなくなること」も含め「あるがまま」なんだ、という言い方はできるかもしれない。もっとも、既に話が循環してしまっており、「循環してしまう」ことこそがこの世の真相とも言える。

なーんて、文章で始めたりしたら、一旦読み始めたあなたも、もはや読むのを放棄する読者と化すかもしれない。既に、「なーんて」以降読んでないかもしれないし、下手をすれば、「なーんて」以前に読むのを放棄したかもしれないし、これからおもむろに読むのを放棄するかもしれない。それも「よろしかろう」。それも「あるがまま」だ。いや、煎じ詰めれば、「あるがまま」すら「どうでもいい」。「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」は、言わば、この世に対する「捨て台詞」みたいなものかもしれない。もう少し鹿爪らしく言えば、この世に対する「究極の叫び」と呼んでもいいかもしれない。

さて、「上記のような思考(不可知論)=存在=あるがまま」と、「人生(とりわけ生活)」とのギャップというのが当記事のテーマである。

以前の記事で、人間から見た「この世」を、次のように区分した。

0 「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」=存在そのもの
1 人生の3区分
1・1 生活
1・2 趣味
1・3 ライフワーク


人間に生まれてしまった以上、生物としての、脊椎動物としての、哺乳類としての特有の存在様式(とりわけ生活様式)に縛られざるを得ない。最低限でも、寝て食べて排泄せざるを得ない。昔、陽水が「クーネル遊ぶ(食う・寝る・遊ぶ)」などと言っていたが、「遊ぶ」のは必須かどうか分からないが、「食う」と「寝る」は行なわざるを得ない生活様式である。「食う」も「寝る」も結果として楽しみの一つになっているかもしれないが、そもそも仮に食ったり寝たりしなくてもよければ、それに越したことはなく、他のことに、より多くの時間を割くことができる。それらは、「趣味」や「ライフワーク」にシフトできる。

これだけでも有り難いが、もっと言えば、「趣味」すら「取るに足らないもの」「わずらわしいもの」と考えれば、もしかしたら「趣味」も無いほうがいいのかもしれない。ミミズやオケラやアメンボには、「生活」はあっても、おそらく「趣味」はないと思われる。ちなみに人間が、「生活」や「趣味」をしなくてよければ、「ライフワーク」のみに時間を割くことができる。「ライフワーク」は、人間特有の概念だろうが、少なくとも当方の場合は、今のところ空集合でそれに該当する行為は存在しない(だからといって、当方が人間ではないというわけではない)。もし当方から「生活」と「趣味」を取ることができたとしても、「人生」においては何も残らない。当方の場合「ライフワーク」もないからだ。それゆえ、「生活」と「趣味」があるから何とか曲がりなりにも生きていられるとも言える。

しかし、当方は、20年ほど前、もちろんレトリックとしてだが、「石になりたい」と言ったことがあり、当時その趣旨を何らの説明なしに即座に理解してくれる友人(アラブ君)が居たことがあるが、「石には生活がほとんどない」と言えば、読者諸氏も、これまでの話を踏まえて、少なくとも話の趣旨だけはご理解いただけるだろう。石には、おそらく「ライフワーク」も「趣味」も「生活」もない。石には、わずらわしさがほとんどない。存在の原初的形態を維持しており、複雑に展開しておらず、通常の意味での生命を持っていない。「静かなる大地のかけら」である。当方、そんな石に憧れた時期もあった。

「人生」は、人間としては楽しくもあるが、「存在」としては煩わしくもある。「人生」は人間に付き物だが、「あるがまま」は「存在」に付き物だ。人間に生まれてしまった以上、「人生」を生きなければならない。しかし同時に人間は「存在」に含まれる。存在としては、やはり「人生」は煩わしいとも思われ、煎じ詰めれば無くても、あるいは無いほうがいいものであるとも思われる。当方既に「人生」の3区分として、「生活」「趣味」「ライフワーク」を挙げているが、現在当方においては空集合となっている「ライフワーク」が、もしかすると「人生」と「存在」の橋渡しをする概念なのではないかと思う。「ライフワーク」と言えば、イメージとしては最も人間らしい営みとも思われるが、「ライフワーク」を一般論で捉えず、個人的に捻じ曲げて捉え、当方における「ライフワーク」は「人生と存在の橋渡しをする架け橋となる営み」と定義すれば、あとはそれに合うように行動すれば、空集合ではなくなり、満たされた集合たりえるかもしれない。そういう「ライフワーク」が人間らしい営みかどうかは別としても。

なに言ってるんだかさっぱりわからないって? まあまあ、よろしかろうて。

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2015年12月04日

全ての学問は、作り物である

「そりゃあ、そうでしょう、学問は人間が作ったんだから」と、物わかり良く言ってくれれば、わざわざ書く必要もないことである。ただ、「全ての学問が作り物だなんて・・・」、と異議を唱える人のために、この記事を書く。「異議を唱える人なんて居ないよ。居るとすればアンタだけだよ」って?! じゃあ、独り芝居になってしまうなあ。まあ、それでもいいや。そもそも、私しゃ、いつだって独り芝居だし。

一つの例として、最近書いた記事標準偏差(S.D.)の計算式の理論的妥当性(根拠)は?でも触れた統計学の「標準偏差の計算式」、これは、どうやら、統計学の基本事項であると同時に、その上に統計学が成り立っているような土台となる計算式のようである。そして、この「標準偏差の計算式」が、もし理論的な妥当性が無いとすると、統計学全体も理論的妥当性が無いということになる。

追記

朝4時ころに眼が覚めて、「標準偏差の式」について考えていたら、「2乗平均平方根の式」(=「標準偏差の式」)の意味だけは分かったように思う。ただ、この「2乗平均平方根の式」が「標準偏差の式」として用いられている妥当性については、まだイマイチ分からないが、ずいぶん気が楽になった感じはある。

どう「2乗平均平方根が分かったように思った」かというと、例えばデータが4つあって、その偏差(平均値との差)をa,b,c,dとする。「標準偏差の式」は、(aの2乗+bの2乗+cの2乗+dの2乗)÷4、これをルートしたものである(2乗平均平方根)。そのときの以下に示す考え方が、当方が朝4時に眼が覚めて思いついたものである。

すなわち、aの2乗は、aの絶対値(長さ)を一辺とする正方形の面積であり、同様にb,c,dそれぞれの2乗も、b,c,dそれぞれの絶対値(長さ)を一辺とするそれぞれの正方形の面積である。これらをプラスしたもの(ミックスしたもの)は、ある一定の大きな正方形の面積となり、その大きな正方形を4つの均等な面積の正方形に分割し、その分割した後の1つの正方形の面積をルートすれば、その4つに分割した後の正方形の一辺の長さとなる。

このように思いついた時点で、「2乗平均平方根の式」の意味は、分かったように思った。これはこれで、通常の「算術平均(ただしこの場合は絶対値の平均)の式」が素直に納得できるのと同じ意味で納得できた。

ただ、「2乗平均平方根の式」が「標準偏差の式」として定義されている妥当性については、イマイチ納得できていない。「算術平均(ただしこの場合は絶対値の平均)」でもいいんじゃないの?、とか「4乗平均の4乗根」でもいいんじゃないの?、という疑問である。もっとも、「4乗平均の4乗根」は、「標準偏差の値」としてはより良い(どういう意味で良いかは説明しづらい)値が得られるような気もするが、その一方で、「4乗平均の4乗根」は、四次元立方体の一辺になると思われ、想像しづらい上に計算が大変そうで「標準偏差の式」とするには現実的ではないのかもしれない。


統計学自体は、現代社会にあって、必要かつ無くてはならないほどの地位を確立しているようだし、それはそれでいいとしても、それなら「別の標準偏差の計算式」から、別の統計学を構築することもできそうな気もする(そういうものがあるのかどうか、当方は知らないが)。

ことほど左様に、統計学に限らず、他の数学も、他の学問もすべて、ある程度直観的に納得できる「定義」から出発せざるを得ない。「そうだよ、それが学問だよ、アンタの言うとおりのものだよ。」と素直に言ってもらえれば、当方、差し当たっては、何も言うことはない。一生懸命、「あの幽霊はヘチマだ」と声高らかに言って、「誰も幽霊だなんて思ってないよ。あれはヘチマだよ。」と言われたら、反省するしかない。

「君が書いた別の最近の記事放送大学の先生からいただいた貴重なお言葉でも、先生が「どんな学問も、ある程度、定義された(限定された)土壌に立って話が始まり・・・」と言っておられるじゃないか。だから、学問とは、そういうものなんだよ」、と言われてしまうかもしれない。

それに対して、当方は、「じゃあ、学問は、芸術と同じようなものなのか」と問う。勝手に定義して、勝手に学問を構築するのと、芸術家が自分の決めた手法で絵を描いたり曲を演奏するのとは、同じカテゴリーの事柄なのか?と。「そうだよ、知らなかったの?!、人間の活動は全て、そういうもの(勝手に決めて勝手にやる)だよ。」と素直に言ってもらえれば、当方、もう本当に、何も言うことはない。

「君だって、最近の記事「あるがまま」とは、(あらゆる時点における)起こった過去の事象すべてで、学問を学んでも学ばなくてもどちらでも良い、って言っているじゃない。所詮、芸術も学問も、どちらも娯楽なんだよ。やりたければ、やればいい。やりたくなければ、やらなきゃいい。やりたくても、やらなくてもいい。やりたくなくても、やってもいい。どう・でも・いい→どうでもいいのよ。」と言われれば、「そうだね、学問に、ありもしない過剰な期待を抱きすぎてたのかもしれないね。」と言うほかない。

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2015年12月03日

第28期竜王戦七番勝負は、渡辺棋王が4−1で勝利し、竜王位を奪還

第28期竜王戦七番勝負(糸谷哲郎竜王 対 渡辺明棋王)は、渡辺棋王が4−1で勝ち、2年ぶりに竜王位に復位、以前の9期連続に加え、10期目の竜王位獲得となりました。糸谷さんは、それが個性なのかもしれませんが、全般に変則的な指し回しとなり、ややチャカついた感がありました。

2年前、竜王位を失い、翌日の朝早く暗いうちに一風呂浴びて宿を発ち、魚津駅でコートを置き忘れるなど、傷心の渡辺さんでしたが、たった2年で、トーナメントを勝ち上がり竜王挑戦者となり竜王復位したのは、実力の為せる業であると同時に、あのときの悔しさがバネになったからこそでもありましょう。2年前の記事をご覧ください。↓

如才ない上田初美に白羽の矢

現在の勢力図

〔人間カテゴリ〕

名人 羽生善治
王位 羽生善治
王座 羽生善治
棋聖 羽生善治
竜王 渡辺明
棋王 渡辺明
王将 郷田真隆

〔機械カテゴリ〕

第25回世界コンピュータ将棋選手権決勝
1位 ponanza
2位 NineDayFever
3位 AWAKE
4位 Apery

第3回将棋電王トーナメント決勝
1位 ponanza
2位 nozomi
3位 大樹の枝(Apery改め)→Apery(エイプリー)のままでいいのに。戻したら?!
4位 やねうら王
5位 技巧

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「あるがまま」とは、(あらゆる時点における)起こった過去の事象すべて

「学問」とは、「あるがまま」に対して、イチャモンをつけること。
(だから学ばなくてよい)

だが、「イチャモンをつけること」も含め、「あるがまま」である。
(だから学んでもよい)

よって、学んでも学ばなくても、どちらでもよい。
(→滝川クリステル「どう・でも・いい→どうでもいい」)

バカボンのパパ「それでいいのだ!」(→よろしかろう)

めでたく「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」の完成。

参考記事 
「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」の思想
「善悪の彼岸」〜「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」の在りようについて

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2015年12月01日

放送大学の先生からいただいた貴重なお言葉

とある質問をしたときに、いただいたお言葉。A4用紙に印刷して後生大事に壁に貼ってあります。世の学徒の皆さんも、印刷して指針とされるのも宜しかろうと存じます。(先生からの私信としていただいたお言葉をブログで公開してしまってすみません。ただ、放送大学に入学すれば、時にこのような貴重なお言葉もいただける可能性があるということで、放送大学の宣伝にもなればと思っています。どうか、お許しを。)

すぐ、「混沌」のような哲学的概念に結び付けないで、自分のわかる範囲の定義からスタートするのがよいと思います。

混沌からスタートしてよいのは哲学ぐらいで、他のどんな学問も、ある程度、定義された(限定された)土壌に立って話が始まり、その上にそれを発展させたものが多いと思います。特に理系の学問はそうしたものが多いかと思います。

数学などはその極で、扱う要素をきちんと定義し、その上に壮大な領域を構築していきます。物理も、ほぼすべてをニュートンの三大原理からスタートさせ、ほぼあらゆる物の運動を説明できます。

私の「コンピュータのしくみ」では、ディジタル、それも0と1しかない世界を前提に、かつ時間方法にもクロックで刻まれているという前提で、すべてを作り上げることができることを示している訳です。

そうした、定まったベースに立って、物事を考える習慣をつけてください。そうした経験を十分研鑽してから、改めて「混沌とは」とか「人間とは」といったことを考えるのがよいかと思います。


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    2014年01月19日 ジャズ講座 前田憲男ジャズを語る 〜ジャズとアレンジの深い関係〜
    2014年02月03日 松本茜、浜崎航、Valentine Jazz Live vol.5 @リブラ スタジオ1
    2014年02月16日 Vanilla Mood (岡崎市図書館交流プラザ、リブラホール)
    2014年05月11日 那王美(vo)&堤智恵子(sax)カルテット @スターアイズ(覚王山)
    2014年06月01日 もうひとりの纐纈っちゃん、纐纈雅代ライブ @インテルサット in 西尾市
    2014年06月15日 堤智恵子ライブ @Swing (新栄)
    2014年06月22日 太田AHAHA雅文ライブ @くすりやさん in 名古屋市中川区
    2014年06月26日 アリス=紗良・オット、フランチェスコ・トリスターノ @コロネット(シビックセンター)
    2014年09月07日 ジャズ講座「ベーシスト稲葉国光が見た日本のトップジャズメンたち」 @リブラ
    2014年09月13日 菅沼直&今岡友美 セプテンバージャズナイト @シビックセンター交流広場
    2015年01月18日 佐藤允彦ジャズ講座・60年代のジャズを語る、弾く 〜ジャズがマグマだった時代〜
    2015年02月14日 松本茜、浜崎航、Valentine Jazz Live vol.6 @リブラ
    2015年02月28日 Hyclad Concert (リブラ/岡崎市図書館交流プラザ)
    2015年07月04日 リブラ七夕ジャズライブ 森谷ワカ(p,v) レコードコンサートとミニライブ
    2015年09月04日 セプテンバージャズナイト 菅沼直カルテット&今岡友美 @シビックセンター
    2015年09月14日 エマニュエル・パユ フルート公開レッスン @シビックセンター
    2015年12月24日 矢野沙織 Bubble Bubble Bebop Live Tour 2015 Second Round@スターアイズ
    2015年12月27日 山中千尋トリオ バースデイライブ2015 冬 @スターアイズ
    2015年12月31日 纐纈歩美 @スターアイズ
    2016年01月17日 「ジャズを語る」【第1回:雑食音楽=ジャズ】講師/佐藤允彦(ジャズピアニスト)
    2016年02月20日 片倉真由子、浜崎航、Valentine Jazz Live vol.7 @リブラ
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