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「仮説だらけのお伽噺」の中で、中日文化センターで「人間は特別な存在か?地球外知的生命探査からのアプローチ」を受講したことを申し上げた。そして、講座そのものはどこも悪いところはなく最後まで受講するつもりであるが、当方的には、自分の興味範囲から話を広げすぎた感があることも合わせて申し上げた。
「人間は特別な存在か?地球外知的生命探査からのアプローチ」は、当方の設定した興味カテゴリでは、どこに属するかと言えば、「ごくごく限定された自然科学」に属するが、実のところ、もっと限定することができることに遅まきながら気づきつつある今日この頃である。これまで明確には気づいていなかったから、受講することにしてしまった、とも言えよう。もっとも、くどいようだが、既に申し上げているように、講座自体は悪くないので、最後まで受講するつもりである。
当方の設定したカテゴリ「ごくごく限定された自然科学」に属するものとして、今のところ、漠然と、「物理学」と「生物学」を想定している。そのうち、物理学については、何をどう学ぶかについて決定するための十分な材料を持ち合わせていない状態なので、今後、もう少し、決定するための時間的熟成を必要とするが、生物学については、自分の興味のターゲットが大方わかってきた。
生物学で当方が知りたいことは、ズバリ「生命の起源」である。あとは、「遺伝子」に関して多少興味があるくらいかな。ただ「遺伝子」について、どのくらい興味があるかを判断するには、もう少し時間的熟成を必要とする。「生命の起源」については、放送大学の次の講座を、とりあえず一度、聴いてみた。
教養学部/自然と環境コース/専門科目
「生物界の変遷−進化生物学入門−('11)」
第2回 「生命の誕生、そのメカニズム」
内容は難しいが、アウトラインはわかった。あと何回か聴いてみると同時に、今後もこの部分(生命の起源)については、興味を維持していきたいと思っている。
どうやら、現在の知見では、大方、生命は、自然界で無生物的に合成された有機化合物から発生していると考えられているようだ。しかし、まだまだ解明されていないことが多いとのこと。このあたりの仕組みは、もう少しちゃんと学習する必要があるし、現代生物学でわかっていない部分も含めて今後関心を維持していきたいと思っている。
翻って、それ以外の「生物学」には、「遺伝子関連」を除いて、ほとんど興味がないことに気づきつつある。すなわち、「生命の起源」には興味があるが、「生命の展開相」には興味がない、ということだ。「生命の進化」など、全く興味がないというわけではないが、「生命の展開相」にまで興味を延長すると、生物学だけで相当の時間を取られることになり、「当方の生物学への興味の程度」や「当方の今後の生存期間」とのバランスが悪くなると思われるからだ。
もっとも、忘れてはならないのは、「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」の根本思想から見れば、「生命の起源」すら「どうでもいい」ものであり、「学んでも学ばなくてもどちらでもいい」ものであることに変わりはない。生命の起源がわかったところで、この世は「あるがまま」である。ただ、「学ぶことも含めて、あるがままである」という言い回しを是認することによって、「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」の思想の下においても学んだって勿論いいということになり、よって「学んでも学ばなくてもどちらでもいい」という中の、「学ぶ」を当方がたまたま選択している、というだけのことである。
(この冷めた思考によって、「学ぶ」意欲は多少削がれる傾向はあろうが、だからと言って、「学んでも学ばなくてもどちらでもいい」という思考や、引いては、「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」の根本思想を撤回したり故意に忘却したりすることは、とてもできない。)
ちなみに、物理学の一側面として、「存在の起源」という分野があろうことは、容易に想像できる。「存在の起源」は、「生命の起源」の延長線上にあると思われ、より上位概念であろう。しかし、より上位概念ではあるが、「生命の起源」とどちらが興味深いかと考えると、即断できない。「存在の起源」(現代の知見では量子論か?)という概念は、「あるがまま」という概念に近づきすぎてしまうので、「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」という概念だけで、大方事足りるとも思われるからだ。すなわち、「生命の起源」は、「起源」と言ってもまだ「存在」の展開相であるが、「存在の起源」は、何かの展開相でもなさそうなので(神の展開相?、宇宙意識の展開相? そんな神秘主義は認めないよ!)、完全な根源であり、筆舌に尽くしがたそうだからだ。それこそ、「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」でもって認めてしまうのがよろしかろう、と言えなくもない。
ただ、「ごくごく限定された自然科学」として「物理学」も措定しており、初めのほうでも書いたように、物理学の何を学ぶかは、今後の時間的熟成を必要としており、また、「物理学」には、「存在の起源」だけではなく、「物理法則」という分野もあると思われ、それにも興味があるかもしれないと思われるので、「物理学」については、もう少し俯瞰・吟味してみる時間を要すると思っている。
もっとも、くどいようだが、物理学についても、もちろん「あるがまま、どうでもいい、よろしかろう」の根本思想は適用されるので、「学んでも学ばなくてもどちらでもいいこと」であることに変わりない、ということを付言しておく。
例によって最後に一言
(「早く、勉強やれー」「アイアイサー!(^^)」)
posted by frugal gambler at 12:08|
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学問・放送大学
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